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宗教は科学である

T.無知の知

 正しい知識を得るためには、全てのものを「それが、疑うことの出来ない自明なものなのか否か」問い掛けることが必要です。デカルトは、この「方法的懐疑」により、全ての知識が自明なものか否かを検証しました。

 その結果、「自明なこと」は唯一つしかないことが判明しました。それは、『「全てのものを疑っている自分が存在する」ことだけは疑うことが出来ない』でした。いわゆる「我思う故に我あり。」です。

 それ以外は、今まで正しいと思ってはいたが、実はそう思っていただけであることが分りました。これが「無知の知」です。

U.心の外に世界は存在するか

 しかし、自明なものしか信じないのであれば、そこまでです。そこから先は、「何を信じるか」によります。

 心は、その中に宇宙を作り出しています。私たちが感じている宇宙は、心の外の宇宙ではありません。心が作り出した宇宙です。我々には、心の外を覗くことは不可能です。そして心の外に、宇宙があるのかどうかも分りません。

 しかし、心は外界に似せて、心の中に世界を作り出しています。心の中では、1+1=0でも、それが1でも3でも何でも構いません。何故なら、心の中に在るものは、消えたり生じたりするからです。したがって、1つと1つ在ったものが消え去り0になっても良いし、新しく生じて3になっても良いのです。決して、「増えもせず減りもしない」と前提して、「1+1=2」としなければならない必要はありません。

 しかし外界では、無から有は生じませんし、有が消滅して無となることもありません。外界では「質量保存の法則」や「エネルギー保存の法則」が成立します。したがって、「1+1=2」でなくてはなりません。

 私の心が「1+1=2」に制約されている事実は、「心の中の世界は、外界に出来る限り似せて作られている」ことを証明しています。外界に1+1=3を適用すると、その行動は誤りであり失敗するからです。
 したがって私は、「外界には心で感じている様な世界が存在する」と前提せざるを得ません。

V.ユダヤ教・キリスト教の世界観

 ユダヤ教やキリスト教では、外界は神が創造したと信じます。
 ここに物が落ちたのは、ここに落ちるように宇宙が作られているからであると考えます。そして、どうしてここに落ちたのかを追求し、物体は外から力が加わらなければそのまま飛び出した方向へ等速運動を続けるが、落下距離は時間の2乗に比例する為放物線を描いて地上に落下し、ここに落ちたことを発見します。

 この様に、宇宙で起る全てのことは、必然であり神によって意図されたものであると考えます。ですから、一見偶然に思える事に対してもそれは必然であると確信し、その仕組みを解明しようとします。
 ある大天才は、「神はサイコロを振らない」と言いました。これは物理現象を確率で説明しようとする試みに対し、必然な説明をしなければならないと批判したものです。

 こうして西洋では、神が宇宙を創造したとの確信により、自然科学が発達して来ました。

W.東洋の世界観

 それに比べて東洋では、仏が宇宙を作ったとは考えません。仏は精神の中に存在していると考え、内心の仏を探求します。
 宇宙は偶然出来たと考えます。そして、物は色んな所に落ちます。「物がここに落ちたのは、単なる偶然だ」と考えては、「落下の法則」や「万有引力の法則」は思いつかないでしょう。

 無神論も同様です。「必然とハッキリ分ること意外は偶然である」と考えたのでは、人に先駆けて新しいものを発見することは出来ません。

X.宗教は科学である

 神を持ち出すと、単純に「非科学的である」と非難する方が居られます。しかし、科学で全ての現象を説明出来るでしょうか。

 第一、物質の因果関係のみでは、宇宙の始まりを説明することは出来ません。物質の因果関係は、「原因が結果を生み、その結果が原因となりまた結果を生む」関係になります。原因があり、その為に結果が生じます
 しかし、それでは「最初の原因」が存在出来ません。その「最初の原因」は、何らかの原因により結果として生じなければなりませんが、それがありません。
 この様に、物質のみでは「宇宙の始まり」を説明できないのは自明です。

 今度は、コインのゲームを考えます。コインを縦に立て、倒れて表が出れば私が勝ち、裏が出れば貴方が勝ちます。科学では、このゲームで「私が勝つ確率は50%負ける確率も50%」としか言えません。しかし現実には、どちらかが勝ち「掛け金」全てを手に入れます。それを決めるのは何でしょうか。
 これと同じことは、素粒子レベルで無数に起っています。完全に均衡している状態に、ほんの僅かな力が加わり少しの不均衡が生じると、不均衡が不均衡を呼びそれは次第に大きくなり、終にコインは倒れます。

 確率は50%ですが、ほんの僅かな力が加わることで、表が出たり裏が出たりします。その為に、ある者は人生で成功しある者は失敗します。その「僅かな力」が、精神である可能性はあります。

 精神である私は、物質である手を動かすことが出来ます。肉体は「動くか動かないか」の物的に均衡した状態にあります。ほんの僅かな精神の力を、この物的に均衡した物質(脳)に加えることにより、手は動いたり動かなかったりします。この様に、精神は物質を動かすことが出来ます。

 果たして、単なる偶然の連続でこの宇宙は進行しているのでしょうか。それとも何らかの意図があり、僅かな精神の力が加えられているのでしょうか。

Y.神の存在の証明

 「宇宙の仕組み」を完全に解明した時、物質だけでは説明出来ないことが残されたら、神の存在を証明したことになります。この様に、宗教は全く科学的な態度であると言えます。


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