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精神は物質を動かす要因であるか

1.手が動いたから精神が動いたのか、精神が動いたから手が動いたのか。

 この世に存在するものは、超ひもとその振動及び精神のみです。この世には、物質があるだけではありません。私は、物質のみで出来ている訳ではないからです。では精神である私は、手と言う物質を動かしたのでしょうか。

2.貴方は誰ですか

 その為には、まず私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は「これが私です」と、自分の体を指すでしょう。
 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。「手は私ではなく、残りの方が私です」と答えるでしょう。では、首が取れたらどうでしょう。「首の方が私です」と答えるでしょう。

 では、脳を取り出したらどうでしょう。「脳の方が私です」と答えるでしょう。では、脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。
 そもそも体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

3.貴方の感じは物質ですか

 「赤い」とか「熱い」とか感じているのが私です。では、「赤い」「熱い」と言う感じは物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界(以下「外界」と言います)には存在しません。物質の表面に当たって反射する、光の波長が存在するだけです。
 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。
 味はどうでしょう。同様に味もありません。臭いはどうでしょうか。臭いも外界にはありません。
 熱い冷たいはあるでしょうか。物質が振動しているだけです。絶対0度では、全ての振動が止まります。温度が高くなるにしたがって、物質の振動が大きくなって行くだけです。熱い冷たいもありません。

 全て心が作り出したものです。次々に、心が作り出した感じを捨てて行きます。最後に残るのは、「この範囲にあるものが存在している。そして時間が経過し、ここに移動した」との時間と空間の直感だけです。
 しかし貴方が感じている時空間も、決して心の外にある時空間を直接感じている訳ではありません。心が作り出した時空間を感じているのです。

4.全ての感じは、心が作り出したものです

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、後には何も残りません。
 そして、心が作り出したものは、現れたり消えたりします。したがって、これと言った実体はありません。つまり、有でも無でもなく空です。耳から聞こえる音も、鼻から匂う匂いも、舌の味も、肌から受ける触感も、5感は全て空です。
 ですから、「赤い」「熱い」との感じは物質ではありません。幾ら科学が発達し、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、「熱い」と言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。

 この世の中には、物質でないものも存在しています。もし、物質だけであったらどうでしょう。
 ロボットは、物質だけで出来ています。科学が発達し、高性能なロボットが出来たら、人間と同じ反応をするでしょう。世間話をし冗談を言うでしょう。やかんに触れると、「熱い」と言うでしょう。しかし、私たちが感じている「熱さ」を、感じている訳ではありません。
 「何かを感じている」と言う事は、「人間は物質だけから出来ているのではない」ことを証明しています。

5.脳はテレビに似ている

 心の外の世界がどうなっているのか、私には全く知る術がありません。しかし心は、外界に出来る限り似せて心の中に世界(以下「内界」と言います)を作り出しています。
 例えば、部屋の中でテレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出します。しかし我々は、現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。

 この様に部屋の中にいる限り、我々は外の現場を直接見ることは出来ません。花を見たとします。眼が光の刺激を受けて神経の中を信号が流れ、それが脳に到達します。脳がその信号を受けて、その中の物質の一部が花に対応する動きをします。私は、その花に対応する物質の動きが刺激となり、花を感じます。
 それは丁度、カメラが光の刺激を受けてケーブル及び電波で信号が流れ、それがテレビに到達し、その信号をテレビが受けて絵や音を作り出し、それを私が見ているのと同じです。

6.真実の私

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。では、脳である物質が私なのでしょうか。
 花を感じているのが私です。そうすると、脳である物質そのものが花を感じているのでしょうか。もしそうなら、そこら辺に転がっている石も、何かを感じているはずです。しかし本当に、陽子と中性子の周りを電子が回っているだけの存在が、何かを感じているのでしょうか。

 「赤い」とか「熱い」とかの感覚は、決して物質ではなく精神的な存在です。その様な精神的なものを感じている私は、物質ではなく精神的な存在です。決して、石や木が何かを感じている訳ではありません。
 「赤い」「熱い」との感じは、私の一部です。ですから、私は精神的な感じの集まりです。

7.私は変わるのか

 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。
 もし見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても、元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。
 同様に、もし病気で脳が壊れ何も感じなくなったとしても、医学が発達して脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来るでしょう。

 この事は「私は、何も変わっていなかった」ことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも、脳を健康な状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。ただ脳が信号を送らなくなったので、私は何も感じなくなっただけです。

 テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通り見ることが出来ます。同様に死んで脳がなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。
 科学が発達し、かつて脳を構成していた物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて脳を作ったら、また私は元の通り感じるようになるでしょう。

 この様に、私自身は「生じるもの」でも「無くなるもの」でもありません。「穢れるもの」でも「清くなるもの」でもありません。「増えるもの」でも「減るもの」でもありません。私は、宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

8.死んだ後、生まれるか

 「死んだ後の状態」は、「生まれる前の状態」と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。人は、「生まれる前の状態」から生まれてきました。ですから、「死んだ後の状態」から人が生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 私自身は、死んだ後も何ら変わらず存在しています。ただ、信号を送る脳が無くなったので、何も感じていないだけです。そして、新しい脳が信号を送り出した時、私はまた前と同じ様に感じるでしょう。

 心の中に作り出された世界は、私の一部です。心の中の世界に居る「一人の私」が、私なのではありません。その1人は「小さい私」です。心の中の世界に居る私の敵も、私の一部です。心が私なのですから。故に、「汝の敵を愛せよ」と言えるのです。

9.私に限界はあるか

 人間の脳より遥かに高性能な脳が私に刺激を送る様になれば、もっと豊かな世界が私の心の中に広がるでしょう。そう言う意味で、現在私が感じている世界は、私のほんの一部にしか過ぎません。

10.物質が精神に刺激を送る方法

 以上のとおり、私は精神であることが分かりました。そして、肉体である物質は精神に影響を与えます。つまり脳の働きにより、精神に様々な感じを生じさせます。

 では、精神に働きかける物質の影響力は何でしょうか。
 それが重力であれば、重力が強くなったり弱くなったりしたら、精神が受ける感じ方は異なることになります。例えば、重力の強い惑星に降り立ち、又は重力のない宇宙空間に行った場合、精神は異なる感じ方をし始めるでしょう。しかし、それは起こりません。
 強い力は、極近い距離でしか働かない作用です。弱い力もそうです。精神に影響を与える手段に使えそうにありません。
 物質の存在とその運動そのものが、精神を感じさせているのでしょうか。もしそうであれば、脳が動いただけで感じ方が変わることになります。脳が動けば物質が動くからです。これでは、歩く度に感じ方が変わることになりますが、実際にはそうなりません。

 最後に、電磁気力が残りました。では、電磁気力が精神に影響し感じを起こさせているのでしょうか。
 実際、脳の中には複雑な電磁気力が生じています。例えば、交通事故で植物人間になった場合でも、脳に電極を埋め込み電気を流すと、健康な状態に近づくことが知られています。また、後頭部の視覚を司る部位に、「ア」の形に電極を埋め込み電気を流すと、本人には「ア」と見えることが知られています。どうやら、物質は電磁気力で精神に影響を与えている様です。

11.結論

 電磁気力により影響を受ける精神は、電荷を帯びており移動する筈です。精神は、物質の電磁気力により移動します。精神は、電磁気力により生じた快の感じに留まろうとし、不快の感じからは遠ざかろうとします。

 そうであれば、精神は自分自身の動きと電磁力により、物質を動かすことが出来ます。


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