悟るとは、何を悟ることなのでしょうか。悟ると、全ての苦しみから逃れることが出来ます。
人間には、どうしても逃れることの出来ない苦しみが三つあります。一つ目は病の苦しみ、二つ目は老いの苦しみ、
三つ目は死の苦しみです。
これらの苦しみから逃れるには、宇宙の仕組み全てを悟ることが必要でしょうか。宇宙の仕組みの全てを解明すれば、
人間は病を治し、老いることを止め、不死の肉体を手に入れることが出来ます。不慮の事故を、避けることも出来ます。
しかし、今の私たちが生きている間には、到底解明することは出来ません。
では、どうすれば、苦しみから逃れることが出来るのでしょうか。
病・老い・死の苦しみは、自分は肉体であると考えることから起ります。肉体は必ず病気になり、老いて、死にます。
苦しみから逃れる為には、人体の仕組み全てを解明しなければなりません。
しかし、人体を構成する物質は3年に1度の割合で入れ替わります。私が肉体なのであれば、3年後の私は今の私ではないこととなります。
花を見て赤いとか、やかんに触れて熱いとか感じているのが私です。本当の私は、言わば鏡の様な感受性です。
私は、肉体が送る信号を受け取り、世界や感覚・感情・思考を感じます。これが心です。心は物質と精神とのコラボレーションです。
その感受性は、肉体が死んでも何ら変わらず存在し続けます。この宇宙の始まりから終りまで、何ら変わらずに存在し続けます。
生まれる前と死んだ後を比べても、何ら違いを見出すことは出来ません。人は、生まれる前の状態から生まれて来ました。
死んだ後の状態からまた生まれることは、何ら不思議なことではありません。人間の脳より遥かに優れた脳が、
私である感受性に信号を送るようになると、今よりも遥かに豊かな世界が心に広がります。そういう意味で、私は無限です。
限界はありません。
(詳細は、精神は物質を動かす要因であるかを参照下さい)
この様に、私は感受性と言う精神であり、肉体が病に罹り老い死んでも、何ら変わらず存在し続けます。
生まれることも滅っすることも無く、清らかになることも穢れることも無く、増えることも減ることもありません。
肉体は生まれ変わり続け、この宇宙が終わるまで私は存在し続けます。般若心経では、不生不滅・不垢不浄・不増不減と言います。
この様に考えれば、自分は老いることも無く、病にかかることも無く、死ぬこともありません。愛する人と別れることもありません。
又お互いに生まれ出会うからです。
私の感じている宇宙は、私の心が作り出したものです。私の心の中の小さな私が、私なのではありません。心全体が私なのです。
私の敵も、私の心の一部です。だから愛することが出来るのです。
欲しい物は既に貴方のものです。何故ならば、欲しいものは貴方の心が作り出した貴方の一部なのですから。
心の中で起ることは、消えたり生じたりし、これと言った実体がありません。ただ、感じたり、感じなくなったりするだけです。
嫌なことも沢山感じます。しかし、それは一時の幻の様なものなので、あまり苦しまないことです。
これを、色即是空、空即是色と言います。心の中で起ることは、感じるので無いとは言えないが、
実体は無く消え去るので有るとも言えないので空であると言う意味です。
物質である脳は、精神である貴方に信号を送ります。精神である貴方は、その信号を受け取りそれを感じ、心を作ります。
脳である物質は移動します。従って、移動する度に、異なる精神に信号を送ります。私の脳が1秒前に刺激を送った精神は、
今の精神ではありません。
記憶は脳と言う物質の中に蓄えられます。精神の中に蓄えることは出来ません。1秒前に他の精神が感じた記憶を脳から受け取り、
今の精神は自分が感じたのだと思い込みます。しかし、1秒前の精神と今の私とが同じであることを証明する方法はありません。
この宇宙には精神が満ちています。精神の無い場所があれば、そこに脳が位置した時、何も感じなくなるからです。
宇宙に充満している精神を、1つ2つと分けることは出来ません。それは1つの大きな全体です。
物質の全体を宇宙と言います。精神の全体は、何と呼べば良いでしょうか。物質である脳は、1つの精神の一部に信号を送っています。
そして、移動する度に、その信号を与える位置を変えているだけなのです。
私は、無限の感受性を持ったこの宇宙に唯一つの精神の一部です。それは宇宙と共に生じ、宇宙と共に終わります。
この様に考えると、あらゆる苦しみから逃れることが出来ます。これが悟りの内容です。