• CATBIRD日記 (物理・数学・歴史・哲学・宗教の未解決問題を扱ってます)
  • 何故、私は私であり、他人ではないのか

    何故、私なのか

     私と他人とでは、同じ様であるが決定的に異なる点がある。私は私であり、私が感じることの出来るのは私の心のみである。私には、他人の心を直接感じることは出来ない。感情移入により、他人の苦しみや喜びを、自分の苦しみや喜びとして間接的に感じることは出来る。しかし、その時でも、私が感じているのは私の心である。
     何故、私は私であり、他人ではないのか。

    肉体と言う監獄

     人は、この宇宙空間に存在し、それぞれ自分の心のみを感じている。それは、宇宙空間を壁で仕切り、その中に一人ずつ閉じ込められている様なものである。隣の部屋に居る人の心は、決して直接見て感じることは出来ない。これを、魂は肉体の監獄に閉じ込められていると表現することもある。その多数の中で、私は私以外の人ではないことは奇跡である。

    右脳と左脳の関係

     しかし、本当に私は私以外の者にはなれないのであろうか。壁を取り壊し、全ての人を一つの心にする方法は無いのであろうか。その方法が有れば、私は他人でもあることになる。

     人には、右脳と左脳がある。右脳と左脳は脳梁で繋がっており、右脳と左脳は直接データー交換をしている。そして、お互いに他方の脳が感じていることを直接感じている。右脳と左脳とは、それぞれ独立した心を持っていることが知られている。病気に伴う手術により、脳梁の繋がりが無くなった人を調べた結果、右脳と左脳は、それぞれ別個の意思を持っていることが判明した。
     右の目に「貴方は将来何になりたいですか。」と書かれた紙を見せる実験を行った。その結果、右の目と繋がっている左脳は、「私は、医者になりたい。」と答えた。左の目に、同じ紙を見せると、右脳は「私は、芸術家になりたい。」と答えた。

     右脳と左脳とは、別個の意思を持ち、直接対話をしている。お互いの心と心が、一つになっている。まさに、二人で一人の状態である。 
     病気で片方の脳が無くなっても、心はもう一つあるので無くなることはない。一つの体に二つの心が入り、終始直接会話をしているので、孤独にも耐えられる仕組みになっている。脳が高度に為る程、孤独には耐えられない。その為に、進化の過程で、二人が一つになる構造を獲得したと考えられる。

    私の脳と他人の脳を直接結ぶ

     人と人とは、直接にデーター交換はせず、言葉やジェスチャーを介して、間接的な会話をしている。従って、他人の心を直接感じることは出来ない。しかし、右脳と左脳とを脳梁が結んでいる様に、人の脳と脳とを直接結んだらどうなるであろうか。
     右脳と左脳の様に、私と他人の心は一つに混ざり合い、私は他人に、他人は私となるはずである。私と他人とを隔てていた壁に穴が開き、他人の心を直接見ることが出来る。全ての精神は、一つの心となる可能性がある。そして、その方法は、今後数百年掛けて研究すれば、十分に実現可能なものである。

    神の定義

     この様に考えると、私が私であることは、特別なことではないと思える。私は、大きな精神全体の一部である。物質の全体を「宇宙」と呼ぶ様に、精神の全体を「神」と呼ぶべきである。神が宇宙を創造したと考えるのは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教である。この物質宇宙は、精神により作られたものであるか否か、まだ結論は出ていない。
     しかし、仮にこの宇宙を精神が作ったとしても、それが精神の一部であるならば、それは神と呼ぶに相応しくない。それを含めた精神全体の方が、より「上位」にあり限定されていないからである。

     故に、宇宙が存在しているのと同じ確からしさで、神は存在している。