• CATBIRD日記 (物理・数学・歴史・哲学・宗教の未解決問題を扱ってます)
  • イエスキリストの山上の垂訓

    山上の垂訓

     イエスキリストの教えの中で最も有名なのが、「山上の垂訓」です。イエス キリストは洗礼ヨハネと別れた後、荒野で40日断食をし、悪魔によって試練を受けました。その結果、イエスは悟り悪魔を退けました。
     その悟りを、ガリラヤ湖畔で布教し、3弟子のペテロ、ヨハネ、ヤコブを初めとする多くの信者を獲得します。イエスはガリラヤ全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆるわずらいをおいやしになりました。その評判はシリヤ全地にひろまり、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こうから、おびただしい群集がきてイエスに従いました。イエスはこの群集を見て、山に登り、教えて言われました。それが「山上の垂訓」です。

    ルカによる福音書9-16・17

     その中で、私が最も感銘を受けた部分を抜粋します。ルカによる福音書9-16・17より
     「イエスは五つのパンと二匹の魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福してさき、弟子たちにわたして群集に配らせた。みんなの者は食べて満腹した。そして、その余りくずを集めたら十二かごあった。」

    これは奇跡か

     群集は、男だけでも五千人以上居ました。それだけの人数の人が、イエスの配った五つのパンと二匹の魚で満腹し、なおたくさんの余りが出たのです。

    善い行いは善い行いを生む

     これは単なる奇跡ではありません。なぜなら、山上に集まった人の中には、自分の食事用としてたくさんのパンや魚を持って来た人も居たのです。しかし、多くの人は着の身着のまま山上に集まったので、食べるものはなく御腹を空かせていました。
     その状況をみて、イエスは自分のなけなしの食事をみんなに配ったのです。たくさんのパンや魚を持って来た人たちは、そのイエスの行いを見て、自分も必要最低限のパンと魚を残して後は他人に与えたのです。ですから、すべての人々が満腹しなお有り余るほどの残りが出たのです。
     これは、善い行いは善い行いを呼び、苦しむ全ての人々を幸せにすることが出来ると言う教えです。しかし、その為には誰かが先駆けとならなければなりません。先駆けとなる善行は微々たるもので、貧しく苦しんでいる人々にとっては、焼け石に水の様なものです。しかも、自分の持っている全てを施さなければ、人は後に続きません。しかし、そうだからと言って決して悲観してはなりません。その行為を見ている人が居て、その人もそれを見て善い行いをするからです。
     これが、イエスの最も偉大な教えであると思います。