• CATBIRD日記 (物理・数学・歴史・哲学・宗教の未解決問題を扱ってます)
  • 「物のあわれ」とは何か

    日本の美意識の源

     日本特有の美意識として、「物のあわれ」がある。これは、日本の芸術全般において、美の源となる感情である。この「物のあわれ」とは、一体どう言う感情なのか。

    西洋の永遠で知的な美

     西洋の美は、イデアに対する感覚である。イデアとは、概念である。馬や犬、富士山の様な美しい山等、物的なイデアもあれば、国家や善と言った観念的なイデアもある。
     一々対象を調べて、その正しい操作方法を確認した上で行動するのは無駄である。犬は近づくと攻撃して来るか、それとも尻尾を振って来るか。餌をやると懐くか。一人で寂しいとき、一緒にいて慰めてくれるか。それらを、一々実験し確認してから、犬を飼うのでは時間が掛る。犬は人に懐き、主人に忠誠であると言うイメージに、犬を飼い友として暮らすと言う行動様式が結合すると、犬と言う概念となる。
     概念が成立すると、一々、犬とはどういう存在で、それに対してどう行動したら良いのかを確かめなくても、正しい行動が取れるようになる。

     プラトンが追求した、国家のイデアも同様である。人の集団は、どの様な形態を取るのが正しいのかを実験し、確かめてから国家を形成するのでは、何時までたっても作ることは出来ない。正しい集団の形態のイメージに、そこでの決定に従うと言う行動様式が結合し、国家と言うイデアが成立する。これで人は、一々考えなくてもイデア=概念により、国家を形成することが出来る。

     人は、イデアを生まれながらに漠然とした形で持っている。経験により、それらは具体的なイデアとなる。例えば、自分を襲う鬼や怪物と言う恐ろしい生き物のイメージや、自分の友となる忠実な生き物と言ったやさしい愛らしい生き物のイメージを、人は生まれながらに漠然とした形で持っている。これらが経験により、トラ・ライオン・オオカミと言った具体的な猛獣の概念となり、また犬や馬と言った家畜等の概念となる。

     ただ、イデアは典型的な形で成立するので、個々の場合には、その性質を確認する必要がある。犬にも、獰猛は犬もいれば、知らない人にも尻尾を振る犬も居る。この犬がどう言う性質を持つ犬かは、ある程度確認する作業が必要となる。

     国家も、細部については、どの様な形態が良いか思考錯誤が必要となる。この様に、ある程度性質を確認した後に、人は行動する。これなくして、典型的なイデアに固執し、それと結合した行動様式を取り続けると、イデアは固定観念となる。

     この様に、西洋では、イデアは永遠の存在であり普遍である。その中に美が存在する。美とは、人を引き付けるものである。自分にとって好ましいイデアには、美の感覚が付与される。逆に好ましくないイデアには、醜の感覚が付与される。これで、人は好ましい対象に引き寄せられ、好ましくない対象から遠ざかることが出来る。

     西洋の美は、不変である。そして、人の生存に必要な存在に引き付けられる美と言う意味で、合理的であり知的である。

    日本の移ろい易い美

     日本の美の源である「物のあわれ」は、物質面を見ている。これに比べて、西洋の美は物質の形態面を見ている。物質は絶えず変わり、万物は流転する。様々な物質が、そのイデアの形を取る。イデアは物質の形であり、物質そのものではない。そして、イデアと言う形は永遠である。従って、西洋の美は永遠である。

     しかし、物質は必ず変化する。美しい時は一瞬である。美しい花は数日で萎れる。若くて美しい時もすぐに移り行く。美しい着物や茶碗も、何時かは壊れてしまう。美しい山々も、何時かは崩れる。美は、そう言うもろさを有している。もろいが故に、その美を少しでも長続きさせようと努力する。花が枯れない様に水をやる。若い肌を維持する為に、若い時から様々な化粧品を使う。着物や茶碗が、虫に食われたり壊れたりしない様、大切にする。移り行く美に対して、美しい状態を少しでも長く保とうとする感情が湧く。この移ろい易いはかない美にあわれを感じ、美を長続きさせようと努力する気持ちが「物のあわれ」である。

     従って、日本の美意識は、ただ美しいだけではなく、はかない美を少しでも長く維持しようとする努力を伴う。この意味で、美はただの感覚ではなく、より強化された感情となる。従って、日本では美がより強く感じられるのである。