人の顔立ちやスタイルの美しさ、競走馬や犬の美しさ、青く霞んだ山々や南国の澄み切った青い海の美しさ等、様々な対象に美を感じる。しかし、美の基準は一体何であろうか。
参考になる事例がある。犯罪者の顔の特徴を導く試みがあった。犯罪者特有の顔を割り出し、その顔を持つ者が、罪を犯す前に矯正し、或は用心をしようと言うのである。そこで、様々な犯罪者の眼・鼻・口の大きさや間隔等、顔の寸法のデータを集積し、その平均値を使って顔を描いて見た。
すると、男女共にすばらしく美しい顔となったのである。つまり、美しい顔とは、全ての寸法が平均値である顔だったのである。しかし、寸法が平均の顔とは、どう言う顔なのであろうか。
眼の大きさや間隔は、最も機能的で環境に適したものが望ましい。鼻や口の大きさもそうである。その最も機能的寸法から、各自少しずつ外れているので、顔に個性が出る。最も機能的な寸法は環境には適するが、それでは各自の見分けが付かなくなる。また、ある程度寸法に幅がある集団の方が、環境変化に適応し易い。
眼が大きい方にずれる人と、小さいほうにずれる人とが出る。従って、平均すると、最も機能的な寸法となる。人は、その環境に最も適した寸法に、美を感じるのである。そして、その最も環境に適した寸法の顔の人と結婚して子孫を残そうとする。よって、その集団は、環境に適した寸法を平均値において維持することが出来る。逆に、環境に適さない寸法の顔の人を好んで、その人と結婚して子孫を残そうとすると、どんどん環境に合わない寸法の顔となってしまい、その集団は弱くなる。
体のスタイルも同様である。足の長さ、尻やウエストの引き締まり具合、長く真っ直ぐな指等に、美を感じる。獲物を追いかける為には、速く走れなければならない。足が長くヒップも引き締まっていなければ、速く走ることは出来ない。槍を投げるには、腰を速く回転させなければならない。ウエストが太いと速く回転させることは出来ず、遠くまで槍を投げる事は出来ない。石器や土器等、様々な生活用品を作るのに、指が重要となる。長く真っ直ぐに伸びた、繊細な作業の出来る器用な指に美を感じる。
この様に、最も機能的なサイズの体に美を感じるのである。
競走馬は、速く走る馬を交配して、より速く走る馬を作り出している。より速く走れる機能を持った馬の体に美を感じる。しかし、爬虫類の場合はどうであろうか。機能的な体を持った爬虫類に美を感じるか。蛇やトカゲやワニに美を感じるか。私は醜しか感じない。人が、まだねずみの様な生き物であった時、蛇やトカゲに捕まえられ食べられていた。爬虫類は哺乳類の一番の敵であり、忌み嫌っていた。従って、爬虫類から遠ざかる為に、醜を感じるのである。犬に美を感じるのは、犬は太古から人類の友人であり、犬に近づく為に美を感じるのである。
青く霞んだ山々や、青く澄んだ海に美を感じるのは、その豊かな自然のある場所に止まる為である。砂漠に美を感じ、そこに止まろうとすると、その集団は自滅してしまう可能性がある。豊かな自然のある場所に憧れ、その場所を求める集団の方が、生き延びる可能性が高い。
この様に、人類にとって、望ましい自然・望ましい動物・望ましい人体のサイズに美を感じ、人はそれに引き寄せられるのである。