ここに、60回/秒振動している原子AとBがあるとする。原子Aが高速移動すると、内部の基本粒子が重くなった様に振舞い動きにくくなる為
振動回数は減る、前から来る物質を動かす力は速く伝わり粒子は速く動く為振動回数は増える、後ろから来る力は逆の結果となる、
粒子間の距離が収縮し力は早く粒子に到達し粒子は速く動く為振動回数は増える。
そして、原子Aの振動回数は、ローレンツ変換で計算したのと同じ値となる。(詳細は、トップページを御参照下さい)。
原子Aの振動が30回/秒になったとする。原子Aが時間を変化させたのなら、原子Bも30回/秒振動する様になるはずだ。
しかし、Bの振動回数は変化しない。時間の経過が遅れたからAの振動回数は減少したのに、時間の経過が遅れてもBの振動回数は変化しない。
他の物質に全く影響を与えない時間の変化とは、どう言う意味なのか。それは、物質にとって自分が60回振動する間隔が1秒なのだ。
物質が高速移動すると、上記3要素の変化により原子の振動回数が変化し、その物質にとっての1秒は、実際の1秒とは違ったものとなる。
原子の振動回数が30回/秒に減少すると、人間の反応も遅くなり、感覚的にも原子が60回振動する2秒を1秒と思う。
移動する観測者が、60回/秒振動している静止者を見ると、静止者の時間は2倍速く経過している様に見える。移動する観測者の持つ時計も、
2秒間に1秒を刻む様になる。
移動する物質が1秒とする時間の間隔が変化する現象を、主観的時間の変化と表現した。
しかし、現実には時間は変化せず、変化するのは振動回数と言う物質反応のスピードである。
その物質が1秒とする間隔が変化するだけなので、他の物質には一切影響を与えない。
私の言う主観的時間の変化とは、
高速移動が人間の精神に悪影響を及ぼし、時間の感覚を狂わせることではない。また、客観的な時間の変化でもない。
移動する物質自身が変化することだ。
光と並走するロケットに乗り、ゆっくりと伝わる光を走って追い抜こうとしても出来ない。
自分を構成する粒子を動かす力が、抜こうとしている光と同じ速さで伝わるからだ。
また、自分を構成している粒子の速さの限界が、抜こうとしている光の速さだからだ。
自分を構成する粒子は非常にゆっくりと動く為、非常にゆっくりと行動し思考する様になる。
持っている時計も、非常にゆっくりと時を刻む。その為に、ゆっくりと進む光も光速cで非常に速く進んでいると観測される。
そう言う理由で、今まで光速以外の速度で移動する光は、観測されていない。
観測者の動きにより時間の経過が遅れ、それが光に影響するのなら、光はゆっくりと進んでいると観測される。
しかし、光に影響はしない。「光速度不変の原理」は、物質の移動に伴う時間及び空間の変化は、
他の存在には一切影響を与えないことが前提となる。
移動する速度により、時間の経過が相対的に変るとは、将に時間が変化するのでなく、動いている物質自身の反応のスピードが変わると言うことだ。
ローレンツ変換による時間及び空間の変換は、移動する物質にしか意味のない主観的なものだ。
移動する者Dは、あたかも時間及び空間が変換された様に、宇宙を観測する。しかし、本当は観測しているD自身が変化している。
D以外の者が宇宙を観測する時、Dの時間及び空間の変化は全く無視される。宇宙は全く変化していない。
D以外の者には、唯Dがゆっくりと反応していると見えるだけだ。
真実の式は、t’=t、x’=x、y’=y、z’=zだ。
原子Aの振動回数が60回/秒から30回/秒になり、原子Bは変わらないのなら、原子Aに流れる時間が変わったのか、
原子Aの物質反応のスピードが変わったのか判断出来ない。時間と空間は物質変化でしか表現できないので、
どちらなのかは分からない。しかし、高速移動による上記3要素の変化で、物質反応のスピード変化を説明出来るなら、
時間の変化は必要ない。両方を計算すると、原子Aの振動回数は15回となってしまい、現実と乖離する。
距離はどの様にして、定義されるか。自分の大きさを基準とするか。身長をc[m]とし、
静止時に光や4つの力が頭からつま先まで届くのに、1秒掛かっていたとする。
高速移動により主観的な0.5秒(実際の1秒)で届く様になった。光の速度が速くなったと考えるより、
自分の身長が縮んだと考える。
高速移動により、主観的1秒が実際の2秒となると、その間光は2c[m]進む為、
2c[m]を主観的にc[m]と定義する。しかし、実際に空間が変化している訳ではない。
移動する観測者の考える1秒・c[m]が変化するので、実際にはそうでなくても、光は常にc[m/s]と観測される。
人間にとって、時間と空間は直感です。他のものでイメージ出来ません。物質は直感ではなく概念です。
他のより基本的なものでイメージ出来ます。例えば、素粒子は超ひもと振動で表現出来ます。
物質反応の速度が変化する仕組みを、より基本的なもので説明出来ますが、時間と空間が変化する仕組みは、
より基本的な他のもので説明出来ません。
「それでも時間や空間は変化している」としか言えません。そう言う意味で、時間と空間の変化する仕組みは、誰にも分かりません。
時間と空間の変化する仕組みが「説明出来ないもの」であるなら、一旦はそれを合理的に懐疑して見るべきでしょう。
その結果、時間と空間が変化するのか、物質の反応速度が変化するのかの2つの選択肢が残ります。
移動する物質が起こす時間と空間の変化が、他の物質にも適用されるのなら、前者が真でしょう。しかし、一切関係ありません。
前者の仕組みを説明出来るでしょうか。高速移動すれば動きにくくなることは、実験により確認されています。
前に進めば前から伝わる力に早く出会うことや、距離が短くなれば力は早く到達することは正しいでしょう。
この2つを、合理的精神と言う天秤に掛けるしかありません。
主観的時間と客観的時間の意味は、次の様に考えれば分り易いと思います。
自分が、ぜんまいで動くロボットだと想像して下さい。ぜんまいが緩み、自分の動きがゆっくりとなりました。外の世界を見ると、
今までの倍の速さでものが動いています。宇宙に流れている時間は、倍の速さとなった様に思えます。
しかし、他の人から見ると、私の動きが遅くなっているだけです。
実際には、外界の時間経過は変わっていないのに、ぜんまいが緩み自分の動く速度が変わった為、外界の時間経過が変わった様に見えます。
この現象を、主観的時間の変化と表現しました。
客観的時間は、宇宙に流れている時間の経過であり、1つしかありません。これが変化したとしても、物理現象に影響しません。
全てが速くなったり遅くなったりしても、DvDを早送りしたり、スローで見る様なもので、結果は同じです。
従って、考える必要のないことです。
重力が光速で伝わるか否か、まだ結論は出ていません。しかし、電磁波が光速で伝わる事は、明らかとなっています。強い力と弱い力も、
有限の速度で伝わります。物質の核反応は強い力と弱い力、化学反応は電磁力により起こります。
物質が高速移動すると、この3つの力が粒子間を移動するのに要する時間は、明らかに変化します。到達目標が移動するからです。
また、粒子は光速に近づけば近づく程動き難くなります。物質は光速以上では移動出来ないからです。
光速に達すると、
粒子はそれ以外の動きをすることは出来ません。光速で動いているので、3つの力が光速で追いかけても、その力は粒子に届きません。
また、光速で移動する粒子が更に動くと、光速を超えてしまいます。光速に達すると、粒子同士の相対的位置関係は変化しなくなり、
物的反応は止まります。人間も時計も動かなくなり、主観的時間は進まなくなります。
これは、動力が全く働かなくなった状態であり、
自分のぜんまいが緩みきり動けなくなった状態と同じです。このことからも、高速移動すると主観的時間の経過が変化することは明白です。
観測しようとしている光の速さと、自分を動かしている電磁力等(光と同方向への)の速さは同一です。
光と向き合う形で自分が高速移動すると、光の速度は速く観測される筈です。しかし、同じ方向に伝わる電磁力等の速度も速くなり、
その方向へ自分は速く物的変化し、主観的時間が速く経過するので、光は静止時と同一速度と観測されます。
光と並走する形で自分が高速移動すると、観測しようとする光も、同方向へ進む電磁力等も共に遅くなり、
その方向へは主観的時間が遅く経過し、やはり光は静止時と同一速度と観測されます。
これが、「光速度不変」の仕組みです。
『光の相対速度ベクトルの大きさ』は、「物質を動かす力(電磁波・強い力・弱い力)の相対速度ベクトル大きさ」と同値です。
CATBIRD第二変換では、後者を計算しているのです。観測しようとする光と、
観測者を動かしている同方向への4つの力とは、常に同速度で伝わるので、観測者が動いても双方の相対速度は同じです。
観測者の物質反応速度は、そのベクトルの大きさに比例して変化し、主観的時間経過も変わります。『光の相対速度ベクトルの大きさ』
が半分になれば、『4つの力の相対速度ベクトルの大きさ』も半分になり、主観的時間は半分とゆっくり経過します。
そのベクトルの大きさが2倍となれば、主観的時間も2倍と速く経過します。その為に、ご指摘の様に光の相対速度はcではありませんが、
観測者は光を常にcと観測します。
観測しようとする光と、自分を動かしている同方向への4つの力の伝播速度とが、常に同一と言うところが、
私の理論の『かなめの部分』です。