• CATBIRD日記 (物理・数学・歴史・哲学・宗教の未解決問題を扱ってます)
  • 唯物論では自明な自分の存在を証明出来ない

    私の存在は自明である

     私の感じている世界は、私が心の中に作り出した世界です。決して、心の外にある世界を直接に感じている訳ではありません。私の心の外に、実際に世界が広がっているか否か、私には知る術はありません。

     そうなると、私にとって、疑い得ない自明なことは一体何でしょうか。地球が本当にあるのでしょうか。私の妻や子は本当に居るのでしょうか。私の手は本当にあるのでしょうか。この様に疑い得るものを、本当に自明であるか否か疑うことを、合理的懐疑と言います。

     その結果、デカルトは、疑うことの出来ない自明のことを1つだけ発見しました。「我思う故に我あり。」です。疑っている自分の存在だけは疑い得ないことに気が付きました。それ以外のことは、本当なのかどうなのか人間には分からないのです。

     この様に、分からないことを分らないとすることが、「無知の知」です。しかし、自明のことしか信じないのであれば、それまでです。私の心は1+1=2に制約されています。心の中では、ものは消えたり生じたりします。従って、1+1=1でも、1+1=3でも構いません。しかし、物質は無から生じたり、消え去ったりすることはありません。従って、外界は1+1=2です。私の心が1+1=2であるのは、私の心の中の世界が外界に似せて作られているからです。外界に1+1=3を適用すると、誤った行動となり失敗します。私の心が1+1=2に制約されていること自体、外界の存在を示唆しています。それ故に、私は外界の存在を信じます。

    私が物質であるならどの原子か

     この様に、疑っている自分の存在を誰も否定することは出来ません。しかし、唯物論で自分の存在を証明出来るでしょうか。

     唯物論では、自分とは肉体と言う物質であることになります。しかし、肉体を構成する物質は、3年に1度全てが入れ替わります。3年前に私の肉体を構成していた物質は、今は土になり、草になり、虫や草食動物になり、肉食動物となっているでしょう。3年後に私の肉体を構成する物質も、現在は土・草・虫・動物です。一体私はどの原子なのでしょうか。3年前に私の肉体を構成していた原子なのでしょうか。それとも、現在の肉体を構成している原子でしょうか。若しくは、3年後に私の肉体を構成する原子なのでしょうか。

     他人の肉体を構成している原子と、今の私の肉体を構成している原子とを入れ替えたら、どちらが私でしょうか。私が物質であるなら、私は他人になることになります。

     また、宇宙にある全ての物質は、私の肉体を構成する原子となる可能性はあります。では、私は宇宙全体なのでしょうか。

     この様に、唯物論では、自明であるはずの私の存在を証明することが出来ないのです。つまり、どの原子が私なのか特定することが出来ないのです。

    私は精神である

     赤いとか熱いとかを感じているのが私なのです。私は無限の感受性であり心です。脳と言う物質の動きにより刺激を受けて、私は赤いと感じているのです。それはテレビを見ている様なものです。テレビが私なのではありません。私は、テレビの作り出した世界を見て感じているのです。
     私の存在を疑うことは出来ません。私がないのであれば、赤いとか熱いとかと言う感じもないことになるからです。