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KOTHIMAROの哲学ノート


T.無と有

 この世界を認識する際、我々は先ず認識する対象が有るか無いかを問います。無ければそれまでです。しかしただあるだけで、我々に何の影響も及ぼさないものは無いのと同じです。

U.因果のループ(始点と終点が一致する曲線)

 この世の中では、原因が結果を生みます。原因なくして結果は生じず、原因あって結果が生じないことはありません。原因が結果を生むことを「因果」と言います。
 私が原因となり他者に影響を及ぼし、他者の変化が原因となり因果が私に帰って来ます。或いは、他者が原因となり私に影響を及ぼし、私の変化が原因となり因果が他者に帰って行きます。因果の始点と終点が一致するので、これを「因果のループ」と言います。
 この世の中は、因果関係で成り立っています。他者と因果関係を持たないものは、有るとは言えません。世界には、因果のループが無限に存在しており、これを一括りにして「因果の網」と言います。
 また、私はものそのものを知ることは出来ません。心の外にあるものを、私は直接感じることが出来ないからです。心の中には、光のみ存在する時間と空間があります。この光・時間・空間は心が作り出したものです。この時空間は、ものの変化を描くキャンパスです。そのキャンパスの上の特定の時間に特定の形を描きます。この描かれた形に、五感がら入ったものの感覚(色・音・匂い・味・触感)を与えます。次に、外界でそのものが他者に及ぼす影響の仕方を、規定と言う形式で加えます(規定の種類について後に詳述します)。これで、心の中にものが生まれました。
 この様に、複数のものを心の中に再現し、因果関係を心の中に形成します。しかし、我々に外界にあるものそのものを知る術はありません。
 心の中のものには、色・音・匂い・味・触感・温度があります。しかし外界に、色・音・匂い・味・触感・温度はありません。あるのは、様々な波長の光・様々な波長の空気の振動・鼻や舌の粘膜を刺激する化学物質・皮膚を刺激する物体・粒子の振動です。それらを五感で感じ脳にその刺激を送り、脳で色・音・匂い・味・触感・温度にするのです。したがって、我々には外界にあるものの実際の姿を知ることは出来ません。
 この様に、ものそのものは心の中に再現出来ないのですが、ものとものとの因果関係は忠実に心の中に再現されます。もし因果関係の再現が誤っていると、外界で我々は正しい行動を取れなくなり、自己の生存が危うくなるからです。
 この様にして、心の中に様々な「因果のループ」が形成されます。

V.因果を伝えるもの(数珠)は何か

 そして、この「因果のループ」を表現したのが「珠数」です。1つ1つの珠がものを表します。珠と珠を繋ぐ紐が因果です。そして、1番大きな珠Aが私です。私Aが隣の珠Bに働きかけ隣の珠Bが変化し、それが原因となり更に隣の珠Cに働きかけCが変化します。そして、因果はぐるり回って私Aに帰って来ます。
 珠で表される「もの」は、単なる粒子→分子→機械装置→単細胞生物・植物→昆虫→動物→子供→老若男女の人→社会システム→国家となるにしたがって、低次な存在から高次な存在になります。
 最も単純で低位な因果は、粒子が衝突により他の粒子の位置と移動速度を変えることです。粒子Aが隣の粒子Bに衝突し粒子Bの位置と速度を変え、粒子Bは更に隣の粒子Cに衝突します。その衝突がぐるりと回って元の粒子Aに帰って来ます。これが最も低位な「因果のループ」です。物質界の粒子の動きが、全ての因果関係の基礎(ベース)となります。全ての因果関係はここまで降ろすことが出来、そうすると全ての因果関係のレベルに共通する抽象規定を見つけることが出来ます。
 ものが進化すると、特定の対象に特定の作用をする様になります。そして更に進化すると、他者に加えた影響が帰って来た時、自己の物質形態維持に有利に作用する様になります。これが機能です。これは、物と物との機械的な因果のループです。ピタゴラスイッチの様に、物の機械的な仕組みにより因果関係が伝わるのです。進化の過程において自力でその機能を獲得したケースと、他者の道具として他者からその機能を与えられるケースとがあります。後者は、強者に使われることにより自己の保存を有利にします。
 更に高次になると、自己の物質形態保存と言う目的を持つようになります。自己の物質形態の存続を有利にし又は図ったものが、現在残っているのです。
 更に高次になると、物質は精神を利用して物質形態を存続するのに有益な方法を取るようになります。一番低位なのは反射です。感じが身体の動きに直結します。その次が、五感から入る感覚の快不快です。快に近づき不快から遠ざかろうとします。一瞬先に得られる感覚を予測しています。その次が喜怒哀楽の感情です。少し先の自分の状態を予測して、プラスの価値を得ようとし、マイナスの価値から逃れようとします。次が、善悪の道徳です。自分の一生にまで時間的範囲を広げ、他人全てにまで空間的範囲を広げます。その中で、自分にとっても他の全ての人にとっても良いものを達成しようとし、悪いものを除こうとします。次が真偽です。目的を全てにまで広げて、正しいことを実現し、間違ったことを止めようとします。
 この様に、心は一旦シミュレーションして成功した方法を、外界にあるものに適用するようになります。目的を達成する確率が高くなるよう、脳と精神のコラボである心の中で思考実験をします。精神作用がより高度になるにしたがって、シミュレーションで考慮する範囲が広がります。
 人と人は競争しながら協力し合います。最も単純な二人の関係から、家族→地縁社会・職場→社会システム→国家と複雑で高度になって行きます。人と人が一体となり組織やシステムとして、1つの珠となります。
 珠数の珠1つ1つに、粒子→国家までのものを置くことが出来ます。

W.最も抽象的な規定

 唯の「因果のループ」が一番抽象化されたものです。これは、珠がなく紐のみの数珠の状態です。因果が自分から発し自分に返って来ないと、対象は私にとって無いのと同じです。ですから、「因果のループ」より先には無と同じく何も表さない有しかありません。
 因果が具体化されるにつれて、珠が特定されます。珠が1粒の粒子から国家まで姿を変えます。具体的な珠の付いた数珠である「具体的因果のループ」と、紐の輪である「因果の流れのループ」を比べることにより、他者に及ぼす働きかけを表現する規定を抽象化し、粒子から国家までに当て嵌められる共通形式を発見出来ます。
 最も抽象的な因果のループは、影響力の流れのみで表されます。粒子Aが他の粒子Bに与える影響は、衝突・万有引力・電磁気力・強い力・弱い力です。この5つの力は、数学で数・量・度・比率で表現出来ます。それは、力の数(粒子の数)・力の強さ(粒子の重さ=量・粒子の移動速度=度・粒子の移動角度=度)・同じ粒子の比率です。このレベルでは、ものの動きを力と時間と空間で表現出来ます。
 時間と空間は、ものの変化を記述するキャンパスです。キャンパス上で、粒子がこれだけの時間にこれだけ移動したと表現します。
 衝突と4つの力により、粒子Aは他の粒子Bの位置と速度及び移動方向(角度)を変え、それが原因となり最終的に元の粒子Aに影響が帰って来て、粒子Aの位置と速度及び移動方向(角度)が変化します。
 この様に、最低次の因果の影響は完全に数学で表現されます。なぜなら、粒子は全ての他者に対し同じだけ作用するからです。
 以上のように、もの(数珠)を全く特定せず(機能を表現せず)、因果の流れのみ(珠数の紐のみ)にして、因果のループを表現すると、全てのものに共通する形式(=規定)を把握することが出来ます。これらは、対象物や作用を特定しない規定であり、全てのものに共通する規定です。したがって、これらは、完全に数学で計算されます。
 ものが高次になるにしたがい、作用する対象と作用の内容が特定されてきます。そして、自分に返って来る影響が自己の物質形態の保存に有利になる様に、対象と作用の仕方を選びます。
 こうなると、もはや因果関係を数学で表わすことは出来ません。作用の対象と作用の内容は、言葉でしか表せません。ただし、同じ対象や同じ作用内容であれば、影響力の共通する部分を数・量・度・比率で表現出来ます。またその機能を使って、自己の物質形態を保存出来る確率も計算出来ます。しかし、対象と作用の内容は多数の種類があり、それはイメージと言葉でしか表現出来ません。
 具体的な機能を持つ珠も、因果の流れのみに還元して表現します。例えば、因果の流れが速い遅い・強い弱い・遠回りする近くをショートカットする等々です。それらは、全ての機能に共通する規定です。
 「因果のループ」の形態を表現することで、全階層のものに共通する形式・規定を発見することが出来ます。つまり、もの(数珠)を全く特定せず、因果の流れのみを形容詞と副詞で表現するのです。因果が強い弱い(ものの量の規定)・速い遅い(時間の規定)・遠い近い(空間の規定)・目的達成の確率が高い低い(質の規定)等々です。
 このように、最も下位の粒子まで含む規定を探るには「因果のループ」を表現します。しかし、ものは高度になるにしたがって、新しい規定が分化します。1つ下、或いは数個下の階層のものを含んだ規定にするには、最も低い階層の規定を使います。

X.因果の分割

 「人馬一体」と言う言葉があります。人と馬は一体として動くので分けなくても良いとする考え方です。因果のシステムを人と馬に分けるのも、人馬一体のシステムとして把握するのも理性の働きです。理性は、ものを分割し、そのものに規定を与えるのです。

Y.因果のルート

 まとめると、先ず何かがあるか否かを判定するために、対象物の形式は無と有に分かれます。しかし、単なる有はあるだけで、他のものに何の影響も与えません。それは、他のものにとって無いのと同じです。次の形式は、「因果を他のものに与える」です。これが「空の因果ループ」です。ただ因果を他に及ぼすだけでは、どの様に及ぼすのか分かりません。
 ですから、「因果のループ」の次の形式は、「因果のルート」です。因果関係がどこを通るかを考えます。私やものの中を通る因果と私やものの外を通る因果・迂回ルートを通る因果とショートカットする因果・真っすぐ進む因果と枝分かれし曲がりくねって進む因果、目的のとおり予想ルートを進む因果と予想外ルートを進む因果等々があります。
 因果の対象と作用を具体的に特定してしまうと、もはや抽象化することが出来ません。そうすると、小さい概念は心中に在る全体概念の特定部分と一致してしまいます。
 因果を抽象化するには、その対象と作用を特定せず、因果のルートを形容詞で表現します。そうすると、上位のものと下位のものとに共通する因果の形式を見出せます。見出した共通形式の中で、上位のものと下位のものを置き換えると異なる概念になります。
 最下位規定である「因果のルート」は全てに適用出来ます。1粒の粒子は、ただ他の粒子に衝突します。また、他の粒子にただ追突されます。そして、因果はその粒子の内部を通りません。それに比べて、上位のものになる程、対象と作用の内容が特定します。最上位の心は、その内部でシミュレーションを行うので因果は心中の複雑なルートを通ります。
 因果のルートは、作用の対象と作用の仕方毎に表現されます。しかし作用の対象を名詞で、作用の仕方を動詞で表してしまうと、その因果は具体的に特定します。概念が特定してしまうと、上位から下位のものに共通する因果形式を見つけることは出来ません。
 特定させない方法は、作用の対象を形容詞で、作用の仕方を副詞で表現することです。すると、下位から上位のものに共通する形式を見つけることが出来ます。
 ものの機能は上位になるにしたがって、複雑にかつ目的に適するように分化して行きます。それに伴い、因果のルートは複雑かつ正確に特定の箇所を通る様になります。
 因果のルートは、全てのレベルに共通する規定形式です。ものは物質と精神に分かれます。因果のルートも物質ルート(物質的因果関係)と精神ルート(精神的因果関係)に分かれます。しかし、この二つは表裏一体です。物質無くして精神は何も感じず、精神無くして感じは存在しえないからです。
 物質的因果は機械的な作用です。精神的因果は感じが行動に影響を及ぼすことです。最高度の精神的因果は、目的を持った意思です。精神的因果である心の作用は、目的に沿って複雑に分化します。しかし、心の中を通る因果のルートを形容詞で、因果の通り方を副詞で表現すれば、心の中の全ての階層に適用出来る共通規定形式を発見することが出来ます。
 機能は、作用する対象と作用の内容で表現されます。それぞれ、片方を表す言葉には他方を特定する要素を含んでいます。片方を特定して表現すれば、必然的に他方が特定されます。この二つを切り離し、それぞれを抽象化し要素を取り出し再構成すると別の概念となります。
 他者の自己に対する機能も同様です。自己の何処にどの様に働きかける他者の機能なのかを特定します。そして、その機能を抽象化するには、その機能の因果の自己への入口・自己内部の因果ルート(心ルート・肉体ルート)を表現し、それを形容詞及び副詞で表現することで、抽象規定を発見出来ます。

Z.因果のルートの分類(入口・内部ルート・出口・外部ルート)

 上位のものから因果が出て行き(出力)、ぐるり回ってその因果が帰って来て、元のものに入ります(入力)。そして、ものの中を通り(内部ルート)また出て行きます。ですから、因果のルートは、入口・内部ルート・出口で表現されます。これを、ものの能力と言います。
 先ず、因果の入口を検証します。ものには、それが属する低次から高次への各レベルに応じた入口があります。低次→高次の入口は次のとおりです。自分を直す→医療、自分を維持する→食事、自分を増やす→生殖、自分を守る→衣服・家、自分を静かにする→社会的ステータス・評価等々です。そして、物質的な入口と精神的な入口に分かれます。物質的入口は、衣食住・医療・生殖等々です。精神的入口は、他人に良く思われたい・嫌われたくない・優れていると思われたい・好かれたい等々の心の入口です。
 つまり、ものの内部にあるどの対象にどの様な作用をするのかが入力です。ここでも、対象と作用を形容詞と副詞で表現することで、入力に共通する抽象規定を探ります。
 次は、因果の出口です。低次→高次の出口は次のとおりです。衝突する→手や足による操作、自己の未来を予測させる→言葉による説得等々です。ここでも、どの対象にどの様な作用をするのかを形容詞と副詞で表現することで、出力の共通抽象規定を把握します。
 出力には物的出力と精神的出力があります。物的出力は、手足体を使った作業労働です。精神的出力は言葉や表情・態度で相手に意思を伝えます。他の精神に働き掛ける出力には、命令・依頼・懇願・おびき寄せ・誘惑等々があります。
 次は、因果の内部ルートです。肉体のみ通るルートと脳内つまり精神を通るルートとがあります。精神を通るルートには、単なる反射→喜怒哀楽の感情による行動→シミュレーションをして目的に沿う作用を選択ての働きかけ(善悪・真偽)があります。後者程、低位の精神ルート→高位の精神ルートになります。
 シミュレーションにも低位と上位があります。その瞬間の自己への影響のみ考慮するもの→時間と空間及び対象を広げ自己への影響を考慮するもの→自己のみでなく、家族職場地縁集団社会全体への影響まで考慮するもの→目的を広げ真の目的を追求するものまであります。後者になる程、単純なシミュレーションから複雑なシミュレーションになります。
 出力において似た動作(同じ物理的動き)でも、しゃべるのとげっぷをするのとでは目的の有無・意思の有無が異なります。
 ものには様々な機能があります。それは、自己の物質形態を保存するための機能です。1粒の粒子には、あらゆるものに同じ衝突をする作用しかありません。作用には目的がありません。しかし、その粒子が複雑に結合して、内部構造を有するようになると、一定の目的を達成する機能を有する機械となります。終には、物質は精神と結合し精神の因果で他者へ働き掛ける様になります。物質因果は、1粒の粒子の衝突と結合から成ります。粒子が複雑に結合することで、高位の作用や機能を形成します。しかし、それでは一つの機能を形成するために、膨大で複雑な粒子の結合を必要とします。
 一方、精神の因果はそれぞれが異なります。それぞれが違う感じです。したがって、ある機能は数個の感じを組み合わせることで構成することが出来ます。つまり、精神の因果を使うと高度な機能を簡単に作ることが出来るのです。
 物質の因果と精神の因果では、感じるか感じないかの違いがあるだけで、機能は同じです。ロボットやAIと人間を比べて見てください。
 精神の因果には、前述の様に「単なる反射作用」から「シミュレーションにより熟慮した作用」まであります。それに対応して精神の作用は、アメーバ→昆虫→動物→子供→人となるにしたがい、低次なものからより高次なものとなります。
 また、自己の物質形態を保存するには、他者の道具になる方法もあります。つまり、他者の機能になるのです。人間が加工した物質の殆どは道具です。他者に必要とされるので、自己の物質形態を将来に繋げることが出来ます。自己の物質形態を将来に保存しようとしないものは、未来に存在出来ません。
 これら低次から高次に共通する精神機能の抽象的形式を発見するには、前述のとおり「因果のルート」を形容詞と副詞で表現する方法があります。
 ところで、因果の内部ルートも内部のそれぞれのものから見ると、外部ルートになります。ものはどんどん小さく分解することが出来ます。そうすると、ものはどんどん下位になって行きます。それにしたがい、入力・出力も単純になって行き、最終的には粒子の衝突のみとなります。
 因果関係が、私の心の動きのみで終わり外部に影響しないこともあります。笑い飛ばす・泣いて悲しみの感情を解消する等々です。これらも因果関係で、私の活動の1つです。
 因果は、ものの入口から入力され内部ルートを通り出口から作用として出力されます。その出力が他者に入力され他者の内部ルートを通りまた出力されます。この様な、他者と言う数珠の繋がりが因果の外部ルートです。
 因果の外部ルートには、物と物とが繋がった機械的なルートと、他人の精神が他者の精神に影響を与えることで繋がる精神ルートがあります。
 人の社会は、法律・経済・政治と言った精神ルートにより成立しています。これらは、何度も多数人によりシミュレーションされた合理的機能です。この法律・経済・政治機能が、現時点での最高位です。因果のループの中に、神が存在するかも知れません。神は全知全能なので、「神の思し召し」の通りに世界は動きます。つまり、神は因果を超越します。しかし、神はイメージとして扱うのが良いでしょう。
 外部のものの価値は、物質的価値の低いものから、物質機能の高い価値が中位のもの(値段が高いもの)を経て、精神である価値の高いものまであります。

[.もの(数珠)を特定する問いかけの順序

 次に、ものを具体化して行きます。ものを具体化するとは、ものが作用する対象とその作用の内容を具体化して行くことです。
 ものが特定されないと、それは粒子同志が衝突し合う単なる「カオス」です。ものが特定されるにしたがって、粒子は結合し特定の配列を持つようになり、作用や機能及び目的を持つようになります。
 人には、ものそのものが分かりません。そのものの持つ作用や機能しか把握出来ません。作用や機能には、精神的なものと物質的なものとがあります。前者は、プラスとマイナス(快不快)の感覚により、人に行動させるものです。後者は、機械的動きにより、因果が伝わって行くものです。
 この様に、もの(存在)は、物質と精神とに分かれます。精神的因果関係は、反射→感情→シミュレーションされた行動になるにしたがい、低次から高次になります。最高次は全知全能の神です。
 物質の形態を残す競争に、精神が利用されるようになるのです。精神の快不快・プラスマイナスの感じが心的動因となります。また、ものの動きを感じることでシミュレーションが可能になります。それが心です。心中では、心的動因により意思が、ものを動かす試行錯誤を繰り返し、成功したらそれを外界に適用します。この様に、精神は動き方と動かし方を感じるのです。
 快か不快か、その達成が困難か容易か、シミュレーションして真を見つけるのが困難か容易か、長い努力を要するか瞬間に達成できるか、プラスマイナスの感覚は社会全体を左右する崇高なものか、自己の今だけ快を感じ不快から遠ざかる日常的な些細なことか等々で価値が異なります。
 達成容易な不快であれば怒り・悲しみになり、達成困難な不快であれば憎しみ・哀しみとなります。達成容易な快であれば快楽になり、達成困難な快であれば善となります。達成の容易又は困難は、努力の強さと要する時間で判定されます。行為に結びつく必要のない感情は、笑いとなって解消されます。
 物質の因果関係は、粒子の衝突→物質の機械的動き→コンピュータの計算になるにしたがい、より目的達成の確率が高まり高品質となります。より高次になるにしたがい、他者である精神により目的を与えられるようになります。
 対象を知ろうとする時、あれかこれかと言う二者択一で問います。そうして、ものを特定して行きます。
 その問いの順番を検証します。
 どんなものか知ろうとする時、先ずそれは私か他者かと問いかけます。他者であれば、それは物質か精神かと問います。因果のループ(数珠)の中での自己の位置を特定しどの数珠が私かを知ります。自己の位置を変える(自分である数珠を変える)ことで、目的や結果の受け止め方が変わります。
 対象が物質であれば、目的を持つか否かを問います。物質もたんぱく質(例植物)は複雑な構造を持ち、自己の構造を持つ物を増やす働きがあります。しかし、植物に精神はありません。植物は、自己の構造を残す機能を備えたので残ったのです。或いは、物は他者の道具(例コンピュータ)として目的を与えられ、その目的に沿った構造(機能)を持ちます。他者の道具として自己の構造を存続させているのです。植物もコンピュータも、高度の目的の元に作られた精密な存在です。
 この様に、全く目的のない機械的動きをする物か、目的を持った動きをする物かを問います。自分で獲得した目的を持つのか、或いは他者から与えられた如何なる目的を持つのかを問います。
 精神であれば、目的を持つことが殆どです。しかし、一番低位の単なる反射は目的を持ちません。精神作用が高度になるにしたがい、五感から入るプラスとマイナスの感覚(気持ち良い感覚を求め、気持ち悪い感覚から遠ざかる)、喜怒哀楽の感情(極近い将来を予測し、その結果を一喜一憂する感情)、詳細にシミュレーションし成功例のとおり操作する真偽(真を達成するにはいかなる困難も受け入れる、偽に対していかなる誘惑があっても撥ねつける)等々、目的が明確に存在する様になります。そして、その目的は複雑多岐に渡ります。人の持つ機能は全方位に渡ります。
 つまり、もの(精神と物質に共通する)はより高位になる程、自己を保存する機能が複雑に発達します。自己を保存する機能は物質の場合物質で構成されますが、精神の場合は物質と精神で構成されます)。その機能を保全する手段が多岐に渡ります。したがって、自己を保存するために取らなければならない手段が多く生じます。
 ものには感じがありません。精神は感じです。両者は機能面で性能が等しいものがあります。コンピュータと動物等です。前者はものを因果の手段とし、後者は感じを因果の手段としています。これを、物質因果と精神因果と言います。精神因果の場合、精神を利用しようと言う目的があります。
 精神は、アメーバ→昆虫→動物→子供→老若男女→社会的地位→神となりにしたがいより高度になります。
 人間の場合、衣食住・社会的評価等々が必要となります。これらは、自己を存続させるための中間目標です。
 物質の場合、自己の形態を存続させるための機能はどれだけ有用なものかが問題となります。
 ですから対象が精神なら、今それは如何なる目的を持つかを問います。そして、その目的を達成するどれだけの能力を持つかを問います。
 持っている目的を把握するには、その精神が置かれている状況を問います。そして、その精神が形成された過程を調べます。そうして、精神が今持っている目的と能力を特定します。
 また、その結果は目的されたものか否かが問われます。自己の形態の保存に有用な作用程、質が高いのです。したがって、ここで「質」と言う確率を表す抽象規定が生じます。
 ものの問い方は、自己か他者か→物質か精神か→人・物・金(人と人との約束)・情報(シミュレーションの仕方)となります。この様に、対象は基本的に人・物・金・情報に分類されます。
 人が対象であれば、その関係が問題となります。夫婦・親子・他人・社長と従業員等々です。そして、その人の内的状況も問題となります。健康か病気か・若者か老人か・男か女か等々です。協力者か敵対者か、支配者か服従者か、同じ国民か等々です。

\.目的のループ

 ここで一旦整理します。
 ものそのものは人間には分かりません。ものは他者に与える影響で把握されます。粒子は全ての他者に等しく衝突し、全ての他者から等しく衝突されます。この全てのものが持つ影響力は、対象も働きかけの方法も、全く特定されてはいません。ものが対象と働きかけを特定(限定)すると、作用になります。作用が目的を有すると機能となります。機能は、達すべき目的と達する能力を持ちます。機能が目的達成の心的欲求を持つと意思と行動になります。能力とは、未来を予測する能力です。つまり、シミュレーション能力です。反射は美醜の感覚は未来を予測しません。それを感じると即行為します。喜怒哀楽の感情は、極近い未来を予測します。真偽はシミュレーションを十分に行い、成功した行為を外界に適用します。目的達成の心的欲求も、反射→美醜→喜怒哀楽→真偽となるにつれ、強固になります。この様に、心的欲求はシミュレーションの性能に結びついています。
 目的は、多数の中間目的が現れます。人は社会を形成し、法律・経済・政治により中間目標を達成しようとします。これを「目標のループ」と言います。「因果のループ」は「影響のループ」→「作用のループ」→「機能のループ」を経て「目的のループ」へ進化するのです。
 粒子の衝突のみからなる最下位のループは、出来ることが最小です。最上位の目的のループは、意思の因果関係であり制約が少なくなります。
 目的は、欲望等低位のものから崇高な目的等高位のものまであります。同じ手段となる範囲内で、低位の目的から高位の目的まで変更することが出来ます。
 最終目標は同じでも、中間目標を変えることで概念を変える方法もあります。同じ対象を目の前にしても、中間目標を変えることで、その対象に対する操作方法が変わります。
 また、自己の物質形態を保存するのが最終目標ですが、それを保存出来る余裕の範囲内で、精神的快楽を追求する目的を持ちます。ただし精神的快楽は、物質形態を保存すると言う最終目標に貢献する中間目標を達成するための精神的動因に限られます。
 人は目的があって存在している訳ではありません。しかし、進化の過程で特定の目的を選択するように作られました。自己の形態を後世に伝えると言う目的です。これを目的にしなかった人は、現在に子孫を残せず消滅しました。現在に残った子孫は、自己の形態を後世に伝えることを至上命題とした人の末裔です。

].目的のループの種類

 ものには複数の目的のループが交差します。私からも、複数の目的のループが出力されぐるりと回って帰って来て私に入力されます。私と交わる複数の因果のループは、時間と共に変化します。その目的を取捨選択して優先順位を付けるのです。
 心の中のものは、どのように動くか・どう動かしたいかと言う抽象的規定を持ちます。それらをどの方向へ操作するのかを与える必要があります。シミュレーションするには、具体的な目標が必要となります。しかし、目的を抽象化することも出来ます。競争し合ってはお互いに損になる場合、合意して協力し合うと言う「矛盾を解消する止揚運動」です。これを弁証法と言います。競争を続ける方が得になる場合は、二者の関係は止揚されません。ものが持っている形式と目的の抽象形式が論理学です。哲学辞典を研究することで論理学を解明しようと思います。
 心の中では目的を自由に選択することが出来ます。これが自由意思です。
 内部での試行錯誤シミュレーションは行動までには至らず、心内部の動きで終わることがあります。しかし、それも人の動きの一つです。因果が動いたことに変わりはないからです。
 この様に、働きかけは、外界への働きかけと内心での働きかけ(シミュレーション)に分かれます。
 心の中での反応には、反射の様に機械的必然的に一つの反応をするもの→快不快の感触等それに向かい或いは遠ざかるもの→感情の様に近未来を予測し取るべき行動を思考するもの→善の様に社会全体を考慮するもの→真の様に完全なシミュレーションをし外界と一致したもの→全知全能の自由意思まで低位のものから高位のものまであります。
 その精神が外界のものに働きかけて、その結果が自己に返って来ます。それが意図した結論なのか予想外の結論なのか、目的達成に関係ない反射的結果なのかを問います。
 また、そもそも目的の取捨選択が真剣に行われているかも問わなければなりません。だるい、たいぎいと言った無気力も存在します。
 目的の最高位は、自由自在に考えたとおりに実現する意思で全知全能の神です。神は因果関係から超越しています。つまり、ループの中に納まりません。
 遥かなる将来、AIが進化し全知全能のコンピュータが誕生するかも知れません。しかし、現時点では神を単なるイメージに留めておいた方が良いでしょう。
 以上のように、道具も他者により目的に沿った機能を与えられています。人の精神的機能も目的を持ちます。通常は、自己を保存すると言う真摯な心構えを前提にします。しかし、だるい・たいぎいと言う無気力の時もあります。また、善意悪意の別があります。
 隠れた目的もあります。複数の目的の中から、そのケースで優先順位を付け、一番優先度の高い目的を選択し行動します。したがって、後順位の隠れた目的が常にあるのです。それを密かに選択する若しくはその密かな目的が達せられることを期待する気持ちもあります。

十一.システムのループ

 影響のループから目的のループである因果のループは複雑に交差します。同じものであっても、様々な他者からの影響のループから目的のループまでの因果のループがその中を通ります。
 そうした中で、もの同志は他者と競争し或いは譲り合って次第に進化して行きます。人が形成する社会においては、人と人が競争しまた同意して、社会システムを構築しています。最も高度なものは、事業者の経済システム・裁判所の法律システム・国会の政治システム等々です。
 低位のものは、人と人との二者間で行われる合意や契約です。その中でも、単なる思い付きや思慮浅はか等は最も低いシステムです。熟慮した結果の契約から社会全員で十分検討し討議し合った後に合意のもと形成されるシステムが最も高度なものです。
 この様に、同じ手段としての働きを担う低位なものと高位のものとは、同じ手段と言う形式で共通しています。ですから、その共通カテゴリーの中で価値を動かすことが出来ます。低位のシステムは価値も低く、高位のシステムは価値も高いのです。低位のシステムは少人数をまとめ、高位のシステムは全員をまとめます。
 最終システムは中間システムを維持します。中間システムは更に末尾のシステムを維持します。末尾のシステムは私に自己の形態を保存させる手段として入ってきます。
 中間システムはループ状に繋がります。最高位の社会制度システムは全てのループを包含するものです。それは全体で一つであり世界と同じです。
 この様に、目的も全員で十分検討されつくされ合意が形成される程、より高度なシステムとなります。これが、「システムのループ」です。現代思想辞典を研究することで、システムを解明しようと思います。
 ものも学会で十分研究されて唱えられた理論に基づいて作成されたものが最も価値が高いのです。コンピュータやロケット等です。個人の思い付きや短時間の作業で作ったものは価値も低いのです。それらの物が同じ手段となると言う点で同じカテゴリーに入れることが出来、その中で価値を動かすことで別の概念になるのです。ものの目的も、学会で研究しつくされる程、高度な機器になります。これを「機器のループ」と言います。最高位は社会的インフラです。インフラのループがその社会の物質的基礎を作ります。
 一方、心の中の因果関係では、正しい知識に基づいて十分に検討された方法が一番価値が高いのです。誤った知識や思い込みに基づいて思い付きで出した方法は価値が低いのです。それらは、同じ手段となる点で共通します。これを「シミュレーションのループ」と言います。
 つまり、高度に構築されたシステムや高度な機能を持つもの、高度なシミュレーションが、因果のループに入るのです。それらが様々な中間目標を達成するのです。達成された中間目標が最終的に、私に自己の形態を保存する手段となって入ってきます。
 「システムのループ」と「機器のループ」は外界のループです。「シミュレーションのループ」は内心のループです。
 自己の形態を保存する手段とは、動く・食べる・コミュニケーションする・情報を得る・仲良くする・結婚する・衣類や家を得る等々です。
 社会的システムは、構成員の合意の上に成り立ちます。ですから、変更するにも構成員の同意が必要になり簡単に変えることは出来ません。これに対し、個人間の約束は簡単に変更することが出来ます。
 経済のシステムを検証します。人と人がお互いに生産した物を物々交換します。その時、交換の基準となるのは、生産物を作るのに何時間の労働を要したかです。等しい労働時間で生産したものが交換されます。
 生産者Aが生産物を他人Bに与え、AはBに対する債権を得ました。その債権を銀行Cに与えAはCからお金を貰いました。お金は銀行Cに対する債権です。
 或いは、銀行Cがお金をDに与え、CはDに対する債権を取得しました。
 その結果、AとDはお金を持っています。これが有効需要です。市中には生産物(商品)があります。お金と商品のバランス(=需要と供給のバランス)により、商品の価格が決まります。
 生産者Aは自分の生活に必要なことにお金を使い、余剰の現金で生産手段を得ます。この様にして、生産手段を独占し、資本家と労働者に分離します。
 人の努力=労力で得られるものは、商品(消耗品と生産手段及び固定資産に分かれる)、知識ノウハウ、個人の技能です。国民の富とは、生産手段・固定資産・知識ノウハウ・技能です。これらを使い再生産をし、そして生活します。
 商品を販売して他者Bに対する債権を有したAは、その債権を銀行Cに譲渡しお金を得ます。また、銀行CはDにお金を貸し、Dに対する債権を得ます。前者のみ考慮すると、世界にある債権債務を差し引きして残った債権の総額と生産手段・固定資産・知識ノウハウを得るための支出(或いは支出)・技能を取得するための支出(或いは労力)である国民の富の総額は一致します。
 AB間で、ものを売って債権を得るとします。AのBに対する債権とBのAに対する債権を相殺すると、消費してしまうものを売って得た債権は相殺されてしまいます。しかし、余剰として残る生産手段・固定資産・ノウハウ・技能の相手勘定は債権です。AB間のみを考えると、それらの債権も相殺されそうです。しかし、銀行Cを介在させると、債権は相殺されずに残ります。これが預金です。
 AとDは銀行Cからお金を得ました。このお金は多数人間を循環します。市中に出回るお金の総額×1年間の回転数=1年間の商品等の取引総額です。したがって、市中に出回るお金の総額×1年間の回転数が有効需要です。
 一方、1年間で生産される商品等が供給です。有効需要と供給のバランスにより商品等の価格が決定されます。
 この様に、お金は最も高度な経済システムです。それは、約束で成立しています。
 余剰な労働力で生産手段を作ります。これは、労働者が生活に必要なものを生産する労働以外の余剰です。資本家が余剰利益を使って生産手段を作らせ自分のものにします。
 交換の過程では、同じ量の債権債務が発生します。ですから、債権債務を清算すると双方0になります。残るのは、余剰労働力で作った生産手段のみです。それを資本家が所有していれば、富はその生産手段のみです。
 その生産手段を売れば、売った資本家には債権が、買った人には債務と生産手段の所有権があることになります。債権を銀行が買い取り預金になります。その預金を現金にして買った人に与え貸付金にします。そのお金が生産手段を買ったのです。ですから、生産手段の価格=預金の額=お金の額です。
 社会全体を一つの貸借対照表で表現します。流動資産と流動負債は同額で清算され0になります。固定資産と資本が残ります。資本は固定資産の所有権を表します。固定資産を資本家が全て所有していれば流動資産と流動負債は0です。しかし、完全に分かれていれば、同額の債権と債務が生じます。債権と債務の間に銀行が入ります。債権者には預金を与え、債務者にはお金を与えて貸付金にします。そのお金を債権者に払い債権者は預金にします。
 これからすると、預金+現金=生産手段の価格です。
 経済システムはものを生産するものです。その生産物を分配するのが政治システムです。生産物を流通させるのが法律システムです。多数の人が制度を作り、協力しながら競争します。これを抽象化する方法には、人数を少なくして二人間の約束に降ろすのと、人を子供や動物と言った下位のものにするのとがあります。制度には、税法・法律・政治制度等々があります。これは、人の集団を無駄なく競争するものにするためのものです。社会科学です。
 それに比べて、ものを高度化するには感じを使いません。感じを使わず、人がしたいことを代わりにさせるのです。移動する・話す・見る・運ぶ等々です。単一の機能を持つ機械から、マルチな機能を持つロボットまであります。ロボットになると、感じがあるかないか以外は人間と同じ機能を持ちます。人間と等しい存在です。
 政治のシステムと法律のシステムも同様に研究して行きます。

十二.まとめ

 一度整理して見ます。社会システムは、一定の目的を達するためにルールに則った公正な競争をするために、競争しつつ合意により無用な争いをさけるために一定範囲で協力し合うものです。その為には、合意に達する努力が必要となります。討論多数決です。また、それを実施する行政システムそしてそれを維持する警察や裁判所のシステムが必要となります。これが法治主義です。
 これを個人間の約束のレベルに降ろすと、討論多数決は情報交換や交渉や契約約束となります。維持するシステムは、怒りや報復と言う個人の行為になります。
 更に、個人の行動のレベルに降ろすと、交渉や約束はシミュレーションによる他者の動きの予測になります。明確な目的があります。感情のレベルに下げると、極近い未来の予測のみになります。大所高所に立った目的は無くなります。反射になると、目的は無くなり感覚による動きの発生となります。機能となります。機能は自己の物質形態を維持するのに有用です。単なる作用になると、自己の物質形態維持には関係なくなります。特定の対象に対する特定の作用となります。作用は複数の粒子の結合によりなされます。
 1粒1粒がバラバラになり粒子の衝突になると、対象も作用も特定されません。全ての対象に対する全ての粒子が持っている衝突と言う影響力のみとなります。
 影響力は数・量・度のものの特性と、長さ時間の間隔の時空間の特性で表現されます。ですから、完全に数学で表現され計算されます。時空間はものの変化を描くキャンパスです。
 対象と作用の内容が制限されると、それは作用になります。特定の対象へ特定の作用をするものは質が高いと表現します。ものの形を変えて作用を変えることが出来ます。ものを変形出来る範囲をトポロジーで表現します。
 自己の物質形態を維持する目的を持つと機能となります。機能は自己の物質形態を維持する確率にどれだけ貢献するかで表現されます。一度計算して成功するとそれを外界に適用する様になると、シミュレーションが起こります。コンピュータや人間です。シミュレーションするためには、心の中のものに動き方他者の動かし方と言う規定を与えなければなりません。また、それらのものをどの方向へ操作するのかと言う目的を持たなければなりません。ここで動き方や動かす方向と言う観念が生じます。動かし方では、もののみを動かすのか、時間や空間を変化させても良いのかと言うことも問題となります。そして、これは論理学となります。観念を操作した結果が外界と一致していれば、真となります。ものに規定を与え、規定同志含んだり含まれたり交差したりします。これが集合です。集合を使った三段論法により真を演繹します。ものに規定を与え動かしてみて上手くいかなければ(矛盾すれば)与えた規定を修正します。これば弁証法の止揚です。こうして、真を帰納します。
 与えた規定の動きが直感です。複数のものに規定を与えそれが特定の目的の下に外界と一致し、それに心的動因と結びつくと概念となります。
 内心同志が情報交換し交渉すると、個人間の約束となります。それが、社会全体になるとシステムとなります。システムは、社会の構成員のシミュレーションの結合から出来ているのです。
 この様に、対象と作用の仕方は言葉でしか表すことが出来ませんが、それが決まれば残りの部分は数学で表現でき計算出来ます。
 共通する抽象規定は、因果のみの動き・物の動き・精神の動き(反射・無意識・感覚・感情・道徳善悪・真偽)の内、依り低位なものの規定を使って、共通点を表現すればよいのです。精神グループのみを対象とする時、精神の内でもより下位の規定を使って類似点を表現すれば、共通する抽象概念を発見出来ます。
 世の中には、物質と精神があります。この二者は表裏一体ですが、因果は物質的なものと精神的なものとがあります。コンピュータは物質的因果であり、人間や社会システムは精神的因果です。人間の脳の構造を変えることはまだ出来ないので、物質の進化と精神の進化は別物と思えます。しかし、遺伝子工学により脳の構造を変えることが出来れば、物質の進化と精神の進化は表裏一体となります。

十三.概念

 同じ対象を目の前にし、同じ目的を達成する場合、状況Aの時は行動a、状況Bの時は行動b、状況Cの時は行動cと言う様に、状況と行動(操作)の一定パターンと結びつきます。それを実現しようとする心的動因(感覚・感情・善悪・真偽)が生じます。対象には五感による感覚が与えられ像となります。この様に、対象・目的・状況・パターン・心的動因の5者が結合したイメージが概念です。
 対象と目的の規定を抽象化すると、別の対象を目の前にして別の目的を持つ場面を想定出来ます。こうして、別の概念に変更できます。

十四.全体概念と抽象概念

 世界全体の概念は、心の中にあります。それは静的概念です。世界全体の構造を静的に現しています。動くことをしません。これを「全体概念」と言います。そして、既に存在しており変更することは出来ません。全体概念は、起こり得る全ての可能性を表す概念です。
 心の目の前に透明なプラスチックがあります。心の指で形を与え規定(動き方・他者の動かし方)を与えると、それは全体概念の特定部分に行きます。その全体概念の一部の舞台の中で、その形を与えられた透明なプラスチックは五感による色・音・匂い・味・触感を与えられものとなり動き或いは私が操作できるようになります。個別概念は全体概念と言う背景に合わせて動くようになります。これがシミュレーションです。
 ものの動きや私の操作の結果が全体概念(大きな概念)と一致し調和すれば、プラスチックで表された概念(小さな概念)は真となります。小さな概念は、私の意識を大きな概念の該当部分に連れて行ってくれる乗り物です。
 全体概念に対応するプラスチックの動き或いは操作が真となれる努力を、心の畑を耕すと言います。
 透明なプラスチックには、抽象的な規定も具体的な規定も与えることが出来ます。具体的な規定を与えると、それは全体概念の特定部分と結びつきます。他の概念に変更することは出来ません。
 抽象的な規定を与えると、それは全体概念の広い部分を含むことが出来ます。最も抽象的な5W1Hによる規定は、「何時でも・何処でも・誰でも・何にでも・理由はなく・衝突する」です。規定が具体的になるにしたがって「何時・何処で・誰が・なぜ・何に・どうした」かが特定されてゆきます。それは抽象的な概念であり、多数の異なる具体的なケースを内包します。抽象的な概念程、他の具体的な概念に変更し易いのです。
 この様に、変えられるのは小さな概念の方です。大きな概念をイメージしてしまうと変えようがありません。小さな概念を他の概念を含むまで抽象化してしまうのです。
 小さな概念は、大きな概念(全体概念)のジグソーパズルの一つのピースです。そのピースは規定を与えられ全体概念と言う1枚の絵のパズルのしかるべき位置に収まります。一つのピースが表わす小さい概念は、様々な具体的ケースを内包します。
 この様に、理性は心の中でものに規定を与えます。そして、その規定にそってものを動かし、外界と一致するかを調べるのです。一致すれば、その規定は真です。
 しかし、理性は規定の適用を誤ることもあります。上位の精神にしかない規定を下位の物質に適用する「擬人法」や、実際には存在しないもの(幽霊・お化け)に規定を与える場合です。また、物質に与える規定でも「偽の真空」と言う矛盾した規定を与えることがあります。何かがあれば真空ではないからです。真空なら何もないのです。
 物質に与える規定と精神に与える規定に分かれます。

十五.問題解決の方法

 心の中で理性はものに規定を与えます。そうして、ものは動き動かされるようになります。自己の最終目標は自己の物質形態の保存ですが、それを達成するための中間目標は多数あります。どの中間目標を通っても最終目標に到達します。
 規定されたものをどの様に動かして問題を解決するかが必要になります。どの中間目標を達成すべきかを考えます。そうして、ものを動かす方向性が決まります。ここにものを動かす規定が現れます。
 心の中には複雑に交差し合った因果のループがあります。それらを目の前にして問題解決をする方法を検討します。問題解決が不能である時、自分の中間目標や対象の中間目標を変えてやります。中間目標を変更しても、自己の物質形態保存と言う最終目標に貢献する変更であれば自分も対象もその変更を受け入れます。これを「因果のループ」で表現します。それは「因果のルートを変更」することで問題解決を図るとなります。この表現は、全てのレベルに共通適用出来ます。

十六.言葉による場面の設定

 この因果のループ(数珠)を言葉で表現します。世界にある一つ一つの因果のループが一つの概念となります。
 当たり前のことは、わざわざ言葉で表現しません。言葉で表現しない部分は、通常と前提するのです。特異な部分のみ、言葉で表現します。5W1H(何時・どこで・誰が・どうして・どうなった)+私の位置で場面が具体的に定まります。因果のループのそれぞれのもの(それぞれの数珠)を5W1Hで表せます。5W1Hはものの機能を表現(規定)します。5W1Hの規定を抽象化し再構成することで、他の機能に変え因果の数珠を他の概念に変えることが出来ます。
 時間と空間はものの変化を描くキャンパスです。そのキャンパスに、1粒の粒子がこの時間でどれだけの距離を移動したかを記述します。粒子は複雑に結合して行きます。そうして、ものの記述も複雑になります。主体の進化の度合い、対象の進化の度合い、作用の仕方、その結論を言葉で表現します。「何時・何処で・誰が・どうして・どうなった」の5W1Hです。その中で私の立ち位置が特定されます。
 5W1Hのそれぞれを表す言葉は、数個の要素で構成されています。数個の要素を抽象化して再構成すると、別のものになります。
 ものの規定である3W1Hそれぞれは、1粒の粒子→社会システムまで下位から上位までに対応する表現の仕方があります。しかし、上位から下位全てに共通する抽象規定を探して、その範囲内で他の位の概念に変更します。これが、別の概念に変更する「逃げないやり方」です。
 それぞれのもの(因果の数珠)の置かれている環境により概念が異なって来ます。中でも、自己の置かれている環境が一番影響します。それにより、目的や目的の取捨選択が変わって来るからです。
 通常のケースであれば、特に言葉で記述されません。特異な場合にのみ言葉で表現されます。ですから、言葉で表現されていない部分に特異な要素を注入して、別な概念にすることが出来ます。
 この様に、場面を特定する規定は言葉で与えられます。言葉を分析すれべ全ての規定を把握することが出来、心の動き方が解明出来ます。これを「分析哲学」と言います。
 不必要に具体的なことを入れたり、想定外のことを入れると、全く別の価値を持つようになります。
 複雑なもの(人間社会)は、単純なモデルにして思考します。パターン化された人物像を幾つか想定し、その構成割合を設定して、社会全体がどう動くかをシミュレーションします。モデルは、どれだけ正確に未来を予測できるかが大切になります。
 これに対して、物質的因果で構成されるものは単純であり、そのもののイメージを使って思考することが出来ます。

十七.体験による場面の設定

 現在体験している場面の把握は、五感より入った情報により、断片的な規定を他の推定規定を加え組立て概念を作り上げます。良くあるパターンや過去の経験パターンより不足している規定を推定して付け加えます。決まり事やルールにより不足している規定を推定することもあります。パターンの出現率を誤り、過去の経験からレアなケースを想定したり、決まり事やルールを無視しはみ出した推定をしたりすると別の概念となります。

十八.別の概念にして価値を変える方法

 このように、因果の形式を抽象化しより低次の形式にし再構成することで別の概念にし、別の価値を与えるのがジョークです。
 作用・機能・目的等々表を作成します。その概念が表のどこにあるかを特定し、言葉による規定を抽象化し要素に分解し再構成することで、表の別の位置の概念にします。そして、価値を変えてやります。つまり、言葉による制約を緩めて他の価値を持つ概念にするのです。それが、勘違いやうっかりです。
 ほんの少しだけ社会規範から外れた行為や気持ちであれば、許すことが出来ます。それを勘違いで行ったのであれば、笑えます。それがジョークです。
 価値の大きなものから小さなものに変更します。その逆もあります。達成しようとする目的の価値は、身近な日常ありふれた極小さな価値(痒い所を掻く等ちょっと困ったことを解決する)から社会全体を左右する大きな価値のものまであります。
 目的を取捨選択する心的態度も、真剣で真面目なものから、面倒臭い等無気力なものまであります。また、プラスの価値を選択するものからマイナスの価値を選択するものまであります。更に、目的の優先順位の付け方の違いもあります。無気力やマイナス志向、優先順位の違いも、真からほんの少し外れたものは笑って許されます。
 対象の価値を変えることも出来ます。物質の低い価値から精神の高い価値まで変更して見るのです。
 そして、自己の立ち位置を変更します。自分が登場するもののどれに該当するのか、それを変更して見ます。
 因果関係を勘違いすることにより、別の概念になります。また、言葉による規定をより抽象化して要素に分解し、再度組立て別の概念にすることも出来ます。
 逆に、必要以上により具体的な規定を与えて価値を変更する方法もあります。
 心構え・心の状態を変更する。通常は、真面目で真剣に問題を解決する心構えである。しかし、だるくたいぎいと言う気持ちで、積極的に問題解決したくない心の状態もある。また、その場面で目的の優先順位を付け、優先順位の高いものを目標にする。しかし、その選択を誤り(経験や趣向、ついうっかり等々)優先順位の低いものを選択することもある。目的に基づいて他者に働きかけた結果が、意図したとおりのものか、全く予想しなかったものか、或いは目的とは関係のない反射的なものか等々がある。反射的結果を目的に設定していたことにする方法がある。作用の対象を誤り、作用の内容を誤ることがある。
 この様に、概念を抽象化せず別の概念に変えるには上記の方法があります。

十九.心の中の階層

 心の中のものは、お臍から約10p下にある「臍下丹田」に存在しています。そこには具体的なものが存在する確信があります。五感による感覚はありません。ただ、この様な物があると言う確信があるのです。
 思考を止めて意識を臍下丹田に降ろすと、複数の具体的なものが存在するブルーマップを見ることが出来ます。そのブルーマップの上を点となって私は動くことができます。
 心の中位には五感により感じられるものにより構成された舞台があります。それは目の位置です。そのものに動き方や動かし方の規定を加えます。
 心の上位には、論理操作があります。それは頭頂部当たりです。ものに与えられた動き方・動かし方の規定に沿って、ものを幾何学的に操作します。そして、目的に合致したり、外界に一致したりする様に、動き方や動かし方を修正しつつ、規定を変更します。目的に合致したり外界に一致したりすると、その規定は真となります。
 心臓の当たりに感情があります。これは行動する精神的動因となります。
 両耳の下当たりに記憶があります。過去に経験した場面を探ることが出来ます。
 心は魂の様に、上が丸く下が伸びて尖った形をしています。下の尖った部分は、臍下丹田にあるプルーマップに接しており、想定する場所に自由に移動します。

二十.機械的動きと精神的動きを詳細に把握する方法

 世界は「因果の数珠」で表現されます。そして、その珠1つ1つを触ることにより、ものをより詳細に感じ取ることが出来ます。つまり、手と複数の珠を重ねるのです。すると、文字通り機械的因果が手に取る様に理解出来ます。精神の動きを把握するには、自分の心を重ねてやるのです。すると、その精神の気持ちを感じることが出来ます。こうして、その精神の合目的動きを規定してやれば、それに手をかざすことで、正確に動きを把握することが出来ます。
 体を動かすのも、思考でイメージを動かすのも、同じ機能を使います。最も精緻なのが手と指です。ですから、ものの動きを正確に把握するには、場面を体と一体化し、操作しようとする対象と手を重ねるのです。これが「ヨガのポーズ」です。

二十一.瞑想=ものを時空間の心の鏡に五感で写す方法

 逆に、規定を出来る限り感じず五感から入る感覚で心の中の時空間のキャンパスに描かれたものを感じる方法は瞑想です。心の中には光のみ差す時空間のキャンパスがあります。それは白紙です。心の動きを止めて元の一枚の白い紙にします。何も動かないので論理も思考もありません。動きを司る形式は手に宿ります。ですから、手で印を結び手を動けなくすると、思考の動きは止まります。これで、心をものを五感の感覚で映す鏡に出来ます。これを「止水明鏡」と言います。
 時空間のキャンパス上でものは、物質的規定・時間的規定・空間的規定により特定されます。時間的規定も過去未来の抽象規定は江戸時代と昨日・遠い未来と明日等価値の大小の違いがあります。空間的規定の遠近も、海外と隣の席等々価値の大小があります。

二十二.ジョークの哲学

 他の概念にして価値を変えると、ジョークになります。主体自体の価値、主体の意思の価値、働きかける対象の価値、達成しようとする目的の価値、行為の価値を変えるのです。
 ものは力の強さ、動かされ難さで表されます。精神は、実行する気持ちの強さ、目的とする価値の大小で価値が表されます。
 主体自体の価値とは、主体が物→動物→子供→大人(老若男女の別)のどれかと言うことです。主体の意思の価値とは、達成しようとする気持ちの強弱である主体の心的状態(無気力→真摯)、信念の有無(分からない→確信)、達成しようとする目的の価値の大小(欲望→崇高な目標)です。対象の価値とは、対象となる存在を物と見るか精神と見るかです。目的の価値は前記のとおりです。
 概念を変えるには次の方法があります。
 主体をものにするには、半分眠っているや酔っている時差ボケしていることで人がものと化している状態にします。無気力→真摯は真面目な振りをしていると解釈することで変えることが出来ます。信念も知ったかぶりをしていると解釈することで変えることが出来ます。主体の持つ価値観は、生い立ちや経験により異なります。
 目的の価値は、優先順位の低い欲望をこっそり選択しているとか、予想しなかった反射的結果を目的としていたと解釈することで変えることが出来ます。
 老若男女・社会的地位で要求される振る舞いが違います。その適用を誤るとタブーに触れます。個性を極端に誇張する方法もあります。
 手段と目的の不一致→相手の気持ちを読み間違える、決まり・約束・契約・制度の解釈を誤る、複雑な物の動きの把握を誤ることで失敗します。
 目的の優先順位の選択誤り→優先順位の低い目的を達成するのに、優先順位の高い目的を犠牲にする。行為の価値→そのパターンの行為は広く適用される価値の高いものか、特定のケースにのみ適用される価値の低いものか。
 5W1Hの言葉による場面設定で、特殊なもののみ表現され、普通なものは表現されない。表現されない特殊なものを入れる。
 対象を表現するのも行為です。死の手前にあり等
 因果そのものを抽象化する→たまたま同じ動きになり、対象物を同じ様に動かし、同じ結果をもたらした。粒子→制度まで変えてみる。言葉による抽象化(因果とルートを形容詞と副詞で表現する)。断片的な体験(限られたもの)から全体を推論する際の誤り。
 ジョークと文学は正反対です。相手の気持ちを読み間違えるVS相手が気付かない気持ちに気づく、行為の価値ごく限られたケースにのみ通用すると考えるVS行為により広いケースに適用される高い価値(自己の生存に大きく係る因果関係)を見出す、達成しようとする気持ち無気力VS信仰です。


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