太陽と恒星

コペルニクス

 恒星とは地球から肉眼で見た際に、太陽や月や太陽系の惑星に見られるような動きをせず、天体に恒常的に固定された星々と言う意味で名付けられました。これに対して、天体上を移動していく星のことを「さまよう人」と言う意味で惑星と名付けられました。
 こう言う意味では、太陽は他の太陽系の惑星と同様に、天体上を移動するので惑星であると考えられていました。

 ギリシャ・ローマ時代には、太陽と月も惑星と数えられ、7つの惑星から7つの曜日を考案しました。
 プラトンも「ティマイオス」の中で、「太陽と月と他の5つの星、これを惑星と呼ぶ」と書いています。

 コペルニクスは、地球も惑星であり、月は地球の周りを回る衛星であるとし、天動説を否定しました。しかし、コペルニクスでさえ、「太陽・月・惑星・恒星」を区分して考えていました。つまり、まだ太陽を恒星と定義してはいませんでした。
 恒星の定義は、自らの核融合反応を起こして輝く天体です。中性子星は核融合を起こさないので恒星からは除かれます。コペルニクスの後、太陽が他の恒星と同じものであることが確認されたのです。ですから、太陽も恒星と呼ばれる様になりました。