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移動系の時間と空間の主観的変化


時間と空間は変化するか

 先ず、「時間や空間そのものが変化するのか」から説明させて下さい。

 粒子は、光速に近づくにつれて加速し難くなります。これは、加速器の実験で実証済みです。ですから、高速移動する時計を構成する粒子は動き難くなり、その時計は遅れます。

 原子が高速移動すると、電子が動き難くなりその回転速度が落ち遠心力が弱まるため、原子核の電磁気力に引かれ収縮します。ですから、高速移動する定規は「ローレンツ収縮」します。
 強い重力が時計や定規に掛っても、粒子が動き難くなるため、同じ現象が起こります。

相対性理論

 アインシュタイン博士も、高速で移動する粒子は質量が「m=m0/√(1-v2/c2)」に増加した様に振る舞うので、時計は「t'=t√(1-v2/c2)」と遅れ、測量棒は「ローレンツ収縮」すると述べられています。
 時計が遅れ定規が収縮するので、高速移動する慣性系や加速系では「時間と空間の座標」が変化するのです。決して、「時間や空間そのもの」が変化する訳ではありません。

 「時間や空間そのもの」には実体がないので、構造がありません。構造を持たないものが変化する仕組みを説明することは、未来永劫不可能です。一方、物質は構造を持つので、それが変化する仕組みを説明することが出来ます。
 説明出来ないことを信じることは科学ではありません。それは信仰です。ですから、高速移動や強い重力で時計が遅れ定規が収縮する現象は、「時間や空間の変化」で説明するのではなく、「物質の変化」で説明しなければなりません。

方法的懐疑

 あらゆることが自明であるか否か一応疑って見ることを「方法的懐疑」と言います。
 デカルトは「方法的懐疑」により、自明なことは「我思う故に我あり」のみだと気付きました。疑っている自分が居なければ、この疑いはあり得ないからです。それ以外のことは自明でないのです。

 「本当に時間や空間そのものが変化するのか」一応疑って見ることが必要です。その為には「時間や空間が変化する仕組み」を考えることです。そうすると、それは説明不可能であり、ただ信仰していただけだと気付く筈です。

時間と空間の主観的変化

 この様に、高速移動したり強い重力の掛る所では、時計を構成する粒子が動き難くなり時計が遅れます。また、私自身の肉体を構成する粒子も動き難くなるので、私はゆっくりと動き・思考し・年を取る様になります。
 ですから、自分が持っている時計が遅れたことに気が付きません。逆に、回りに居る静止者の持っている時計が速く進み、静止者が速く動き・思考し・年を取っていると見えます。

 しかし、実際に時間の経過が変化した訳ではありません。高速移動する私や私の持っている時計が遅れただけなのです。


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