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新迷解国語辞典 有木巨智麿


哀しい あい哀(かなしい 哀れむ)対象と意思の間に様々な心的動因がある。操作の対象に対する感じ→環境の感じ=中間目標の置かれている状態に対する感じ→自己の置かれている状況に対する感じと色々である。喜怒哀楽は意思に最も近い。意思=自己が置かれた状況に対するマイナスの感じであり、その状況から逃れたい。逃れるにも相当の労力を必要とする。労力を必要としない場合は、悲しいになる。非難を向ける相手は居ない。居る場合恨みになる。労力を必要としない場合、怒りとなる。操作の仕方により、マイナスの原因となっている存在に意思があれば非難を向け、無ければ向けない。自己に非難すべき点があれば、労力を必要とすれば罪であり、労力を必要としなければ恥である。中間目標であれば、不安になり、操作の対象であれば嫌いとなる。


愛 あい愛(かわいがる 大切にする 好き)対象が意思を有する場合のプラスの感じであり、愛の望む状態を達成するには相当の労力を要する。また、この感じを捨てるには労力が必要となる。達成する為に労力を要しない時欲となる。対象が意思を有しない時好むになる。子孫を残す機能を保護する目的を持つ。その機能から外れて規定を抽象化した時、異常な愛となる。機能の対象となる者以外の者に対象を広げることになる。人→物と対象が広がる。機能の対象となる者の中でも様々な者が居る。年齢・社会的地位・社会的立場・両親の思い・周りの者の思い・相手の思い・愛する者の数により、愛は他の感じと共に強弱を有す。

藍 あい藍(深い青色)5感の内目から入る情報。対象の価値ではない。対象の情報が様々な因果関係を通じて肉体に入ってくる。入ってくる際、5感により5種類の感じに変換される。他の4感から入る情報とはお互いに決定的に異なる感じである。共通性はある。プラスの感じかマイナスの感じを有す。しかし、感じ方が全く違う。5感以外にも、鳥は磁力を感じ遠くはなれた場所に帰趨できる。青は比較的プラスの感じを持つ。他に緑・茶色等人の生活に必要な植物の色がプラスの感じを持つ。全ての対象が色を持つ。目の機能から入らない青はない。青の中にも様々な種類がある。

相合傘 あいあいがさ相合傘(一本の傘を男女が一緒にさすこと)状況を言葉で表現することで、他の状況は普通と仮定し、価値を表す。状況の規定を抽象化すれば、一本の傘と多数の人となり、傘も上から落ちるマイナスのものを防ぐものとなる。価値も愛と言う実現に労力を要するものから、労力を要しない欲となる。他人の非難から身を守る盾となる理論を複数の者が自己の欲の為に支持する構図となる。物質的なプラスマイナスは多くの場合、人間相互間の精神的プラスマイナスの行為や評価となる。逆もある。他の状況を入れると、一本の傘を使わざるを得ない状況を入れると、愛以外の感情が設定される。自分の意思で行っているのか、せざるを得ないのかが変わってくる。またしなくても良い状況を入れると、そこまでするかと言うことになる。また、文字通りでも、年齢や社会的立場、許されざる事情があれば価値が変わってくる。

相打ち あいうち相打ち(武芸で双方が同時に相手を打つこと)価値の高いことから低いことに変える。試合は得るもの失うものが大きくその為の真剣勝負であるから価値は高い。価値の低いプラスのものを得る為に競う、更に規定を緩めて2者がお互いに対して行為するところまで規定を低くする。しかし、非難を受けてはならない。笑いを取る為の競争等。欲により得る為、または恥を免れる為意識せずたまたまお互いに対して行為するところまで下げる。人から範囲を広げると、動物の本能や物の機械的作用により互いに対して作用するところまで行く。同じ作用をする意味になる。異なる作用では相打ちにならない。意思の面では、せざるを得ない状況がある。しなくても良い競争をすると価値は変わる。競争をして相打ちになったことよりも、競争をしていること自体の価値を問うことになる。機能面からは、試合をして得るものが職業において、また生活において意味がある場合である。言葉の意味からは、2人が打つとなる。打つものは何か。また、結果が引き分けであることを意味している。何を持って引き分けとするのか。明らかに負けているのに、負けた方が本質的でない事象をとりそれが同じであるから引き分けであると言っている構図も描ける。引き分けと受け止めること自体に価値が移る。逆に勝った法が、余り価値の無い事象に拘り、それが同じであるから引き分けと言っている構図も描ける。その様なことに価値を置くことに注目する様になる。

合鍵
あいかぎ合鍵 鍵には目的がある。大切なものを他人に奪われない様にしまって置く。合鍵となると更に別の目的が加わる。大切なものを共有する者が現れる。又は盗む為に使う。合鍵を使用する者の意思が重要となる。意思は複雑である。何故合鍵を使うのか。目的がある。高度な機能を物質レベルの機能まで降ろすか、見た形より他の行為に変えるか、音が似ている他の言葉にするか、特別な状況設定を付け加え、意思が選択する目的を変える。五感の内、対象を認識出来る程複雑な情報を感じ取れるのは、視覚と聴覚である。嗅覚・触覚・味覚は遥かに情報が劣る。視覚で形から、聴覚で言葉から対象を認識する。価値を有するのは、何処かに意思が居り、目的を選択しているからである。

相方 あいかた相方(相手 客の相手となる遊女)ある目的の為にペアになっている二人 目的は本来価値の高いものである 後者の意味は目的の価値を低めた洒落である 目的がなく偶然に同じ場所に居合わせた、又は同じ状況に陥った場合、例えば、道に迷い或は恥ずかしい状況に偶然二人が陥った場合に、相方と言えば面白い。二人でないと出来ないことに使う。一人で出来るのに二人でする、一人でしなければならないのに二人でする場合、何故二人でするのかと言ったことに焦点が当てられ、二人の意思がクローズアップされる。価値の低いことが目的であれば、笑いが起こる。基本的には時空間も同一場所である。通信技術の発達により、空間は異なることが可能である。時間は少しならずれてもかまわない。しかし、一生分ずれると、相方とは言わない。双方が他方を相方と考えている。片方だけがそう思っている場合や、他者がそう思っている場合は異なった価値が生まれる。共に目的の為に協力し合う意味がある。異なる目的の為にたまたま行為のみ同種類であり共に行うと意味が変わってくる。協力し合うのではなく、利用し合うと違ってくる。完全に目的が同一ではないときに起こってくる。物質の規定に降ろしていくと、二つが同じ対象に向かって、同じ動きをするの意味になる。それを人に戻すと、二人の人が、勘違いして同じ対象に向かって、同じ謝った操作を同じ時と場所で行った場合になる。二人の人を具体的に決めていくと様々な相方になる。

哀願 あいがん哀願(哀れっぽい態度で願う)他者の意思に働きかけ自分の望むことをさせる 他者の同情哀れみを掻き立てることで、自分の願う意思決定をさせる 他者にとってその意思決定は余り重要ではない 自己にとっては重要なことである→自分や自己に近い者(家族等)に哀願する 軽蔑を起こさせる方法で哀願する 他者にとって重要すぎることを哀願する 自分にとってどうでも良いことを哀願する 意識しないで哀願になってしまった 普通に頼んだことが哀願になってしまった もっと強制しようとしたが、ただ相手に哀れみを起こさせるだけの結果になってしまった 相手は哀れみを起こさなかった 他に重要なことがあるのに、哀願をしている 他に有効な方法があるのに哀願している 哀れみを起こさない者に哀願している 誰かの意思目的に価値がある 自分が利用できる物の価値と、人の意思目的の価値とは働きが異なる 自分にプラスになることを望む→因果関係の錯誤により自分にマイナスになることを哀願してしまった 相手にプラスになることだけを目的として哀願した 意思に働きかける→他の因果関係のルートで実現してしまった 自分は価値が低く、相手は価値が高い→社会的身分の高い者が低い者に哀願する 本来は本人には不本意な方法で働きかける→それが本人にとっては嬉しい 自分の利益の為に相手に働きかける→相手を陥れる為に哀願する 自分の目的(ものでは結果)に合う様、他存在が動く様自分が祈る願う 相手は意思があるか否かは問題にしない 容易には実現しないことを他存在に願う 願うことは強く目的とすることである 自分の力で実現するのではなく、他力本願である→自分の力で実現出来るのに哀願した 他人に実現する力がないのに哀願した 猫に哀願した 全く目的にそぐわないことを哀願してしまった 目的とした心的動因 感情・善悪・真偽・美醜により異なってくる 心的動因が無いのに哀願した マイナスの価値を持つ心的動因により目的としたことを哀願した どうでも良いことを哀願した 中間目的を哀願した 自分が哀れな状態である→相手が哀れなので、そんなことはしないよう哀願する 哀れとは、自分自身にとってマイナスの意思決定をしている 他者にとってマイナスの意思決定をすると怒り・侮蔑となって反撃される 自分自身にとってマイナスであるが、容易にその意思決定を避けることの出来る場合、欲と言う低い心的動因に動かされて意思決定した場合、軽蔑となる 容易に意思決定を避けることの出来ない事情がある場合、哀れみとなる 生まれつきの性格・能力・育った環境・切れない仲・腐れ縁・現在の環境・貧乏等から自己にマイナスの意思決定をせざるを得ない場合哀れみとなる 軽蔑の場合、其の者は容易に自己にマイナスの意思決定をすることを避けえるので同情は起こらない 容易に避けることの出来ない事情がある場合に同情が起こる その事情を曝け出して、惨めな方法で頼む→哀願したが軽蔑された 哀願したが怒られた 相手の同情を誘って行為を促す 自分に必要な行為である→相手の欲望を掻きたてることにより、自己に都合の良い行為をさせる 願う 困難な事項を望む→簡単に達成出来ることを願う 願う前に成し遂げよとなる ハッキリと成し遂げられる方法がない場合、そうなって欲しいと願う→方法があるのにせず願っている また達成されていないことを願う→既に達成されているのに願う。

家宝 かほう家宝(家の宝)家の定義 どの様な家か。竪穴式住居、洞窟、鳥の巣、など様々な家がある。洞窟にある鍾乳石が家宝といえば、洞窟にすんでいるのかと言うことになる。普通の家でも、古い家、山奥の家、鉄道のそばの家等様々な価値を持つ家がある。それらが特定される様な宝であれば、そこに住んでいるのかと言うことになる。宝により家が特定され、宝ではなく家の価値が問題になる。宝とは。一般的には、金銭的な価値のあるものである。しかし、金銭的には価値の低いものでも、精神的価値を有するものがある。金銭的価値は一義的である。精神的価値は様々な価値がある。程度の低い価値がら高い価値がありうる。ものをイメージするが、無体財産であることもあり得る。情報等価値を有する。また、入手経路が問題になる。何故持っているのか。盗難品でなないか。相続で取得したとしても、キチンを協議をして取得したものなのか。はっきりした金銭的価値が判明していれば別であるが、不明であれば、担保としてもらったものか。お金に困っている者が買ってくれといったものなのか。取得した時の状況により、金銭的価値を推測する。自分の家の宝であれば良いが、実家の宝や親戚の宝の場合がある。それを自分のものと思い家宝と言うと異なった価値を持つ。その程度のものが宝なのかと言うこともある。ものではなく、子供が家宝のこともある。男にとっての宝、女にとっての宝、子供にとっての宝等、社会的地位の違いにより宝が異なることもある。状況によっては、普段は役に立たないものが、役に立ち大切な家宝となることもある。特別な因果関係によって、一般的には価値の内ものが、金銭的な価値を有する場合もある。

気勢 きせい気勢(意気込み −をあげる)気勢を上げて取り組む価値のあるものを成し遂げるために勢いをつけること。全く気勢を上げる場面ではなかったのに、上げてしまった。状況を読み間違える勘違いも面白い。小さく分からないように気勢を上げた。意味の無いことに気勢を上げて取り組んだ。価値の低いことに気勢を上げて取り組んだ。これ位のことをするのに気勢を上げなければ出来ない。気勢を上げてはいけない場面で気勢を上げた。気勢を上げると獲物が逃げてしまうのに気勢を上げて捕まえようとした。意思はそのままにして、機能を全うする為の状況を変える。不作為について気勢を上げて取り組んだ。これらは機能の面より考察すれば、意味の無い行為である。その意味の無い行為を何故行ったか、勘違いしたか、自己のプライドを守る為に行ったか。欲求不磨の昇華か。心は欲求不満を昇華する機能も有する。その機能を濫用し、しないこと・出来ないことの言い訳をする。苦から逃れる。正当な逃れ方なら良いが、努力せずに苦から逃れる。その逃れが重大な結果をもたらす時は笑えないが、そうではないときは笑える。または、物質的因果関係において自己や他者に害の無い範囲内で、精神的快楽を軽く求めると言う遊びか。害の無い範囲内で快に近づく行為か。快も不快も、目的に対するものと、自己の行為に対しの評価で起こるものとがある。後者について、快が起こることを追求する、行動ではなく、物事の解釈で行う。又は不快が起こることを物事の解釈で防ぐ。針小棒大に自慢する。責められるべき行いを過小評価する。他人の評価による快を得、不快を避ける。自己評価による快を得て、不快から逃れる。対象のものから来る快不快もある。

万有引力 げんそく原則(根本的な法則 根本的なきまり)百パーセント完全な因果関係の把握に至らないと、不十分な因果関係の把握では、現象を説明しきれない。しかし、十分努力をした上での把握であれば、説明出来ない部分があっても、そのきまりを使用する。十分な努力をして把握した因果関係で、重要で意味のある因果関係についての、法則を原則と言う。例外は少しでなくてはならず、半分も例外があると、使い物にはならず原則とは言えない。例外が半分を超えると、逆に例外が原則になる場合もある。十分努力をせずに得たきまりは、原則とは言えない。物質の因果関係・精神を拘束するルールに対して用いられる。精神は決まりに対して、目先の損得ではなく、広い長い眼で見た損得を考慮する態度で臨む。目先の利益に囚われず、全体の利益を図ることにより、自己の利益を図る態度に出る。法律なら社会全体の利益であるし、神学なら神の意思を図ることとなる。目先の自己のみの損得の為に精神を拘束する決まりに原則と名付けるとおかしい。意思能力の高い者に対して社会の決まりと言う意味の原則は働く。意思能力の低い又は無いものに対して、原則を強要し、上位の精神上は効果が無いので、下位の精神的動因や、身体に対しての物理的強制により、原則を守らせることも価値が異なってくる。主体は、守るべき真又は善であると認識している。守るべきか守らざるべきか境界線上も面白い。守らなかったこと=様々な選択肢があり、その内の原則以外を選択したことに対する心の態度=認容しているか、していないか。後悔しているかいないか。正しかったと思っているかいないか。選択が終了した後も、また選択しなおすチャンスが来るかも知れないし、今後同様の選択に迫られることもある。従って、選択終了後も、その選択に対しての意識が残っている。選択後行為着手前まで、行為着手から行為終了まで、行為終了から意図した結果が生ずるまで。意図した結果が生じた後等様々な段階があり、それぞれの段階に応じた意識がある。意図した結果にならなかった場合の意識もある。

言論 げんろん言論(言葉・文章により意見を発表すること)言葉は公約数として、共通する要素のみを残している。現実には様々な具体的要素を持つ。何の為に意見を発表しているのか。因果関係にも、直接因果する関係と、それを取り巻き間接に影響するものとがある。直接の因果関係と間接の因果関係とがある。間接の因果関係とは、直接の因果関係に影響するものである。因果関係には高位の因果関係と低位の因果関係とがある。荒い把握の仕方と、精緻な把握の仕方がある。経験育ち学習により、帰納する為の具体例は、その多少や偏りがある。因果関係は、記憶されている具体例から帰納される。此抽象化された因果関係を、具体的事例において演繹する。上位の精神的機能は概念である。概念は全体的に捉える。下位の物質的機械的イメージは個別的に捉える。大きな概念を思考することが、因果関係の全体に適用される精神的機能を解明する道である。経験と学習により因果関係全体をより詳しく知ることが出来る様になるが、研究の対象は概念である。因果関係の全体は、人の集団である国家の概念となる。対立し協力しているその一部が、小さい概念となる。全体の概念を解明することが、個々の小さい概念を解明する道となる。国家の概念の骨格の上に、個々の小さい概念が働いている。ただの全体は、複雑化しただけである。下位の概念の数が増えただけのことである。集団を一体として捉える概念が上位の概念であり、そこには集団の目的が形成され、その目的に沿った手段が選択される。目的形成が重要である。それ以外は、物的因果関係によっている。個人の目的の形成(自己の幸福追求)・集団の目的の形成(集団の構成員の幸福を実現する)・宗教上の目的の形成(神の意思を明らかにしそれを実現する等)等が一番重要となる。目的の解明は、後世にその物質形態が残るか否かが指針となる。言論も、集団全体における言論の目的とするところと、個人が言論で目的とするところがある。低い精神が言論で目的とするところ、物質が言論で目的とするところそれぞれ異なる。精神のみであれば、自由に目的を達することが出来る。物質は制約されており、目的達成は容易ではなく、一番良い手段を選ぶ。

公明 こうめい公明(公正でやましい点のないさま)正しいことを為す。自分が単に正しいと考えているだけではなく、また自分の取り巻きが支持しているだけでなく、全ての者が正しいと考える行いを、隠さず全ての者に見える様に堂々と行う。最終的な判断や重要な行為について用いられる。正しいことでも、明らかにせずひっそりと行うべき時もある。行為の種類によっては、逆の方が正しいこともある。一般的には正の価値を持つ様に行為するのが良いが、種類によっては負の価値を持つ様に行動すべきこともある。すべきなのかしなくてなならないのか、理由によって異なってくる。行為にも仕方がある。その行為をするのは真であるが、正しい仕方で行わないとおかしなことになる。その場合、他人に言いふらし、知らせてはならない、知らせないほうが良いことをわざわざ知らせることになる。動詞には副詞が該当し、名詞には形容詞が該当する。ある動詞には、本来そうあるべき副詞がある。ある名詞には本来そうあるべき名詞がある。そうでない、副詞・形容詞が付くと価値が変わる。→自分や一部の取り巻きが正しいと考えることを公明正大にする。自分は正しいとは思っていないことを(他の殆どの者が正しいと考えること)行う。都合の悪い部分は隠して行う。全ての人にとり利益になることを行う→自分のみに利益になることを行う。単に正しいと言うのではなく、全ての者に等しく利益になり、全ての者の目的を等しく達することになる行為を行う。→あってはならない又は無い方が良い存在にも等しく利益になる様に行う。行為の対象は多数であり、その中には全体から見て正の価値を持つモノと負の価値を持つモノがある。正の価値を持つモノに対して利益を等しく与える意味である。行っている者は、意思能力の高い者である。幼児や動物が公明正大に行為すると面白い。他者の利益をどこまで意識しているか問題となる。自分の属する団体の全体の利益になる様に行動する。機能としては、対部分の他者の支持を取り付ける働きがある。支持が必要ない場合、支持を取り付けることが出来ない場合(正しいことであるが、表面化すべきでない場合)等は外れてくる。今だけの結果を見ると平等かもしれない。しかし、将来を見据えた結果は不平等で騙されているかも知れない。また、何を持って平等とするか。何か一つの要素が同じことを持って平等とすることもある。平等とは、時間空間を広げてシミュレーションした時同じとなることを言う。目の前の時間空間に限定して同じとするのとは異なる。何かが同じで、扱う権限のある者が行えば、公明と言う感覚が起こる。感覚が起こる場合と、正確に機能する場合とのギャップが生じる。概念も精神面である平等に扱おうとする意思を抽象化するか、物質面である対象に対して同じ作用をすることを抽象化するか、言葉を抽象化するかの3つの方法がある。その行為をした場合、してはいけない場合、そんなことをするのかと言う場合、しても意味のない場合、すると恥ずかしい場合等その行為が100l肯定される場面でない場合に様々な価値が生じる。公と明らかとで言葉は規定されている。公けに明らかにしてはならないものもある。公けに明らかにすると恥ずかしい場合もある。文章構造として、公に向かって明らかにするとなっている。公が主体・客体と変わりうる。明らかも変わりうる。5W1Hの何れにも変わりうる。どの程度の公か。何人位か。3人位に公にしたとるすと面白い。公と言い得るか言えないかの境界線上が面白い。明らかにするとは、全てを明らかにする必要があるのか。一部でも明らかにすれば良いのか。そん境界線上で遊ぶのも面白い。規定は他との比較である。その意味で相対的である。他方を普通と前提して、それと比較してこうと規定する。他方が普通でない場合は明言する。明言していない場合は、普通を前提としている。明言していないが普通でない場合、それと比較してこうだと規定すると、通常とはことなる価値になる。環境(主体及び客体を取り巻く人動物植物物の常況)も普通であれば明言しない。明言していない普通でないものを挿入すれば、価値が変わる。精神面の抽象化では、同時にあらゆる目的・及びそれを支える心的動因が生じ、取捨選択して一つの目的と心的動因に定まる しかし、常に反対の心的動因が存在しており、少し状況が変わると他の心的動因を選択し、バランスをとっている。公明な行為が最終的に選択された行為か、捨てられた行為か、選択したことについて主体はどう思っているか 捨てたことについて主体はどう思っているかの意識も関係してくる 優先順位も関係してくる。

罪 ざいめい罪名(犯した罪の名称)第三者・社会全体に対してマイナスとなる行為をした場合、その行為の名前。自己に対してマイナスとなる行為をした場合、自虐となる。罪とはならない。自分の中の上位の精神機能の一つに対して、それを無視する行為をした場合罪となる。精神的機能の一つも意思と結びつくことにより、一つの人格を形成する。他者・自己・自己の中の一つの精神的機能を対象に行為出来る。自己の中の精神的機能に対してそれを押さえつけ、又は大切にし行為の対象とすることが出来る。仲間を助ける気持ち等を押さえつける行為をすると罪となる。とるに足りない対象に対してマイナスとなる行為をしたとき、罪名と言うと大げさになる。許されない程マイナスになることをした場合に限られる。許される程度の遊び心・許される程度の方法で行った場合にも罪名と言うと大げさである。本人がマイナスとなる結果を意識して行為した場合である。それを意識せず行った行為は過失となる。全く無過失なのに、存在していること自体がマイナスとなることがある。その存在者の名前そのものが罪名となる。否定すべき心的動因と結合した意思に基づき他者にマイナスとなる行為をしたその心的動因と意思と行為が罪となり、その名前を示すことである。心的動因・意思・行為が無い場合、存在者の名前そのものを罪名とする。罪に罰を与え制裁を行い社会にマイナスになる行為の再発を防止することが機能である。その機能の目的を達成するには、否定すべき心的動因・採用した意思・それに基づく行為の三つが必要である。一つでも欠けると上記機能は働かない。外形上有害な存在があるだけになる。何も行為しないことが罪となる場合もある。意思そのものの決定にまで至る心的動因については、真剣な反応をする為、軽くは扱われない。価値が重くなる。目的そのものの価値が低くなければ、価値は低くならない。決定には至らない、意思に働きかけている状態の心的動因で、意思もをれを無視せず、多少耳を貸している状態の時、価値は低く軽く扱うことが出来る。目的行動には直結していないが、さしさわりの無い所で、その心的動因により意思決定し行動している、又は行動に影響している場合、軽く笑うことが出来る。意思が決定せず、影響される程度である。それぞれの心的動因と意思が結びつき、それぞれが人格的存在となる。その人格的存在が心の中で葛藤する。(意思は一つであるが)。意思のそれぞれの心的動因の扱い方がある。心的動因に心を動かされそれを肯定しそれにより行動することを決定する場合。他の心的動因を最適とし(シミュレーションの結果目的達成に最適と意思が判断する)、当該心的動因採用の決定までには至らないが、十分理解し(シミュレーションの結果目的達成の効果を認める)尊重し、やや状況が変われば採用出来ると判断し、その心的動因の影響が行為に現れれている場合。その心的動因は無意味であるとして無視する場合。やや嫌だねと思う場合。その心的動因に基づいて行為するとマイナスの結果になるので否定し、封じ込めようとする場合。意思はそれぞれの心的動因をシミュレーションすることにより評価する。その心的動因を否定することは決定しているが、その囁きかけには魅惑されるところがあると意思が認識すると言う結合状態が面白い。十分にシミュレーションせずに評価することは意思自身が笑われることとなる。笑いは肯定と否定の中間にある。

慈悲 じひ慈悲(なさけ あわれみ いつくしみ)法律の追求する目的は、構成員全員の目的より集団の目的として合成されたものである。今だけの利益=快楽を求める目的から、少しずつ全人生を見、他人を見、全人類の未来を見る視点が広がっていく。目的の広がりである。どの程度広がっているのか検討する。物的操作は、一見複雑な操作を必要とすると思えるものを、単純な操作に持って行く。単純な操作でそうなることが示されれば、直感により自明となる。単純な操作で済む方法があれば、それが出来る。その方法をまとめる。無ければ、複雑な理論を組み合わせて証明するしかない。単純な操作に変換して、そうなることを理解する。その為には、複雑さの中にある規則を発見することが必要となる。物質の均一同一の動き、それによる単純な影響から、次第に複雑な影響になり、目的を有する様になり、目的が合成される。物的制約により手段が選択される。その過程を解明する。法学は、目的の合成を追求する学問であり、私の追及する最終目標である目的の合成と最初の物的影響力を解き明かす分野である。目的と制約の組み合わせで考える。目的を導く為の精神的道具がある。シミュレーションを正確に行うか、又は感情・概念・物質化された概念を使用した理論操作により目的が導かれる。目的を導く道具について考察する。物質全体に於ける目的の合成を考える。部分部分での目的、全体での目的を解明する。快楽の追求等、精神上の目的の追求には限が無い。但し、精神上の目的追求は、物質に於ける目的を妨げない範囲内に限られる。物的目的に限り考察する。精神は、物的目的を達成する道具に過ぎない。物質は0と1から説明される。目的は、物質構造の存続により説明される。その2つが両端であり、その中間にある思考の道具を考察する。

酌量 しゃくりょう酌量(事情をくみとり同情すること)他人の行為に対して、公正な立場から、行為に至ったやむを得ない事情を容れ、非難を加えない様にすること。自分の行為に対して情状酌量し、反省しないこと。身内の行為にたいして、甘い基準で酌量すること。判断の基準が公正・正義なものではなく、犯罪的に非難されるものであること。単純に利益に近づき、不利益から遠ざかるなら、浅い感覚である快・不快により行動する様に構成出来る。複雑になると、快と不快の対立・快同士不快同士の対立により、正しい行為を選択する様、構成しなければならない。その選択の際、深い感覚が浅い感覚より優先される様に設定されている。快・不快には浅い・深いがある。深刻かそうで無いかと言い換えることも出来る。ある利益又は不利益を1つの快・不快が代表する。利益・不利益の比較衡量により1つの利益・不利益が選択され行為するが、利益・不利益自体の比較衡量を行わなくても、それを代表する快・不快の深さにより、一番深く深刻なものが選択され行動に移る。比較衡量又はシミュレーションが正確に行われる程、代表する快・不快は深刻なものとなる。何れを選択するかの問題では、公正・平等・正義から求められる酌量→他人のことは考慮せず自分の利益より選択する自己都合→今現在の利益のみ考慮する欲望→反射行為である刺激の与えられ方の違い→物質的機械的動きである複数の異なる動きをする仕組みと高次の精神活動から低次の物質的動きまで共通した動きがある。

助太刀 すけだち助太刀(助勢をすること またその人)相手の目的達成に力を貸すこと 相手の目的は重要なものであり、相手も応援を望んでいる 何らかの見返りを望んで力を貸すのではなく、無報酬で行う。回りの人も助太刀をすることが正しいことであると考えている。また、力を貸す相手は目的達成に十分な力を持っていない。人と人の対戦の時に助太刀を使うが、困難な問題に当たった時も助太刀を使う。善のレベルで肯定している。→周りの者が望んではいない行為の助太刀をする。主体の主観的意思・主体の客観的行為・主体の置かれている状況・主体の心的動因の取捨選択に対する意識・意識を支える経験により得た因果関係・経験により強弱の付いた心的動因を総合した価値と、対象の主観的意思・対象の客観的行為・対象の置かれている状況・対象の心的動因の取捨選択に対する意識・意識を支える経験により得た因果関係・経験により強弱の付いた心的動因を総合した価値、周囲の者の主観的意思・周囲の者の客観的行為・周囲の者の置かれている状況・周囲の者の心的動因の取捨選択に対する意識・意識を支える経験により得た因果関係・経験により強弱の付いた心的動因とを総合した価値の3つの価値より構成される。人でなく物の場合は、物の作用・物の置かれている状況(状況には、存在が容易な状況か困難な状況か、容易だとしても、それの行為は他者の目的達成に従事する手段となっているか、それ自体が自己の目的を追求しているかと言うことである。)からなる価値より構成される。目的は積極的に行為に出るものと、過剰な行為を控えるものとの二種類がある。物質的自己保存に利する目的と単に精神的満足を得る目的とがある。適性な行為をしなかった場合、精神的にマイナスの感覚が生じる。そのマイナスの感覚を無くする言い訳をして心を満足させる目的もある。不適正な行為をしてしまうと、心にマイナスの感じが生ずる。そのマイナスの感じを無くする言い訳をして心を満足させる目的もある。適性な行為を選択しなかった、又は選択したくない場合の言い訳もある。不適正な行為を選択した、又は選択したい場合の言い訳もある。心には大きなプライドがある。それを満足させたい。意味の無い理由によりそれを満足させる。それを傷つけたくない。傷つかない意味の無い理由を探す。針小棒大に考える。または、逆に過少に評価する。

団欒 だんらん団欒(したしく集まって楽しむこと)目的を考える。人と親しくなる為、親睦を図り人間関係を円滑にする為に行っているのが本来の意味である。他の目的で行っていないか。価値の低い目的ではないか。目的が無ければ、物質の機械的動きとなる。目的には様々なものがあり、全体を見通す上位のものから、その場その時限りしか考慮しない下位のものまである。その時の状況により、様々な目的が競合し、意思は競合する目的に優先順位をつけて、優先度合いの高いものから順番に目的を達する手段を講じていく。その優先順位の付け方も問題となる。生い立ち・環境・経験より優先順位の付け方が異なってくる。また、老若男女・社会的立場・家庭での立場・職場での立場等で優先順位のつけ方が異なる。自分の今の利益を優先するか。自分の一生で見た利益を優先するか。自分のみではなく、家族全体の利益を優先するか。職場や社会全体の利益を優先するか。また、集団における役割分担により、期待される行動が決まってくる。現在の状況を正しく認識しているか。因果関係を正しく認識しているか。その上で、正しい目的を選んでいるか、正しい手段を選んでいるかが問題となる。感情は常に対立するものが用意されている。状況により、どちらかの感情が優先され、それに基づいて行動する。人間の行動は大雑把には感情により行動する。感情がその様に設定されている。しかし、細かい状況を分析して、感情による大雑把なケースの分類では対応出来ない部分を修正して行く。その修正段階において、実際に起こっている感情を押さえ込まなければならない。直接押さえ込むこともあるが、その手段として、さまざまな理由付けを行うことがある。理由の根拠はある程度薄弱である。それが程度が過ぎると、言い訳になる。

仲裁 ちゅうさい仲裁(第三者が争いの間に立って和解させること)利害が対立する二者の間に入り、二者に関係のない中立公平な者が、争いを公平に終わらせる目的で、間に立って双方を説得すること。心のレベルで抽象化し、特定の意思に焦点を当て価値を創造する場合と、物のレベルまで抽象化し全く場面設定を変える場合とがある。→価値のない利益の対立、例えば二者が間違えた言い訳をし、互いに相手に擦り合う場合仲裁に入る。悪意の無い過ちの言い訳、自分が笑われない為の言い訳等である。悪意のある過ちの原因を二者が擦り合う場合は、裁判となる。→争いを終わらせる目的がなく、面白おかしく盛り上げる為に仲裁にはいる。お互いの言い分を聞き考えを述べること。単に力により強制して対立を終わらせるのは脅迫となる。双方が納得することで対立が終わる→納得しなくても、周囲の評価で決まる場合、その評価を一方的に決定する。結果が面白いように決定し終結させる。→只二者に争いを意識して止めさせる。問題とは関係ないことで争いを止めさせる。意識しないでそたまたま争いが止む結果となった。勘違いによりしてしまったら、争いを終わらせた。本人の備わった性格・考え方が価値の対象になる。たまたま勘違いしたのは笑いの対象(心的動因の解消)になるだけで、性格や考え方を笑う(軽い報復)のは別である。のんきさ等を笑う。物質のレベルまで行くと、互いの機能・作用が合い対立しているのを、同じ機能・作用をするよう環境を整備することとなる。ものではなく、心の中の精神作用を言う場合もある。対等の立場で利害が対立する場合である→強い一方に味方して解決する。利害が対立していない、目的が一致しているが方法に些細な意見の差がある場合仲裁する。心のレベルを低くし抽象化すると、仲裁する目的がなく、他の機能により二者の対立を終了するところまで出来る。機能面から団体全体の維持運営に対立の解消が欠かせない為仲裁する→対立自体が団体に余り関係ないのに仲裁する。対立させておけば団体に利益なのに仲裁する。心の中の二つの心的動因の葛藤を、自分の欲が勝つ方に解消する。最終的に面白くなる価値は、面倒くさい・アバウトな性格・努力しないのに知ったかぶりをする・知的能力が劣る・予見力が劣る・欲望に対抗する心の強さがない等であり、場面を抽象化により拡張し、或いは具体化により新しい条件を加えることにより、其の様な面白い心的価値を探すのが目的である。議論の場合は、同じ手法により、几帳面・正確・勤勉・知的能力の高さ・予見力・欲望に対抗する力の強さ等逆の高い価値を探す。目的は逆であるが、手法は同じである。

同感 どうかん同感(同じ感じを持つ 同じ意見)社会的立場が異なるのに、同感してしまう。女性が男の考え方に同感する。逆に男性が女の考え方に同感する。それぞれの社会的立場により、判断のよりどころとする価値感は異なる。そのため、此部分に関しては同感出来ない。共通する価値観を適用できる場面においてのみ、同感することが出来る。具体的場面により、その価値観を使うか使わないか異なってくる。価値観は常に2つが対立している。場面により、どちらを選択するかが決まってくる。同感してはならない場面なのに同感してしまう。被害者と加害者、支配者と被支配者、リーダーを追従者、主人と奴隷、飼い主と動物、所有者と所有物、富豪と貧者、など一つの場面においても、多数の登場人物がおり、いろいろな立場に立たされている。その立場により、選択すべき価値観がことなる。過去の経験、育った環境等により価値観もことなる。同感とは高い価値を有する。真または善のレベルである。欲のレベルでは同感は使わない。真善美と全てのシミュレーションを使った精神から、善美のみを使った精神から更に、欲のみを使った精神へと下降していく。次第にシミュレーションが範囲が狭くなり、精度が低下していく。真善美の心的動因とシミュレーションの高低は連動する。高いシミュレーションが出来た場合は、高い心的動因に支えられる。それがシミュレーション出来なくて、不明であった場合、高い心的動因に支えられず、低い心的動因が支える。狭いシミュレーションしか出来なかった場合は、欲に支えられる。高い心的動因は、低い心的動因を抑えるが、シミュレーションが十分ではなく、不安がある場合、十分には高い心的動因に支えられず、低い心的動因が勝つ場合がある。理性が欲に負けることがある。シミュレーションの全く無い場合は、美の感覚である。全く感じずに反射することもある。精神の働きではあるが、意思を通さず、機械的反応である。意思を通じた行動から、意思を通じない行動、動きに降りていく。精神を使わない、物質の機械的動きから、更に抽象化して、最終的には有無にたどり着く。十分なシミュレーションをする十分な意思の働きにおいて、様々な場面や立場により、価値の選択が異なってくる。心的動因と因果関係がセットになり概念が生じる。これで、いちいちシミュレーションせずに行動出来る。状況の内、要素を感じ取り概念が生ずる。要素と、機能のアンマッチする場面もある。機能は、物質の機械的機能と、精神による意思を通じた機能とがある。それぞれ、達成すべき目的がある。その人の社会的立場や場面により、最適の機能が選択される。その機能により行動が決定され、目的を達成する。機能を選択する場合、自己の社会的立場や場面を十分吟味し、本当の自己と正しい因果関係を定めた上で、十分シミュレーションして選択すべき機能(心的動因)を決定すべきである。十分な検討がなされないで、条件反射的に機能(心的動因)が選択された場合、アンマッチとなることが多い。概念は本当の自己や因果関係の検討・シミュレーションを省略し、効率的に行動できる様、場面・因果関係・心的動因がワンセットになったものである。ある要素を感じて、反射的に一つの概念が選択される。そして、自動的に行動に移る。概念は一般的であり、個別の特殊事情がある場合、疑問が生じ、本当の自己や因果関係の検討やシミュレーションを十分行うこととなる。それを行わない時、アンマッチとなる。また、ある要素から概念を選択するが、その機能が完全ではない。アンマッチとなることもある。纏めてみると、心的動因は高位のものから低位のものまである。自己と他者の区別・因果関係を十分把握した上で、シミュレーションを行い、心的動因を選択する。心的動因には、常に相対立するものがワンセットとなっており、状況によりどちらを選択するかが決まる。十分なシミュレーションが出来ている場合は、高位の心的動因が選択される。十分にシミュレーションされていない場合は、低位の心的動因が選択される。シミュレーションと心的動因は、精神の機能である。その機能が正しく働けば良い。概念は思考を省略し迅速かつ省エネに行動できる様、因果関係と心的動因がワンセットとなったものである。概念が正しく選択されない場合がある。それは、特殊事情による場合と、要素を感じて概念を選択する機能が不十分なために起こる。

懇ろ ねんごろ懇ろ(丁寧なこと 仲が良い様)十分なシミュレーションした上で、利害関係が一致していれば、仲良くし協力し合う機能である。協力し合うにの、利害関係を十分考慮した欲望と、利害関係を考慮する前に、相手の外形を見て、自発的に生ずる愛と言った高度は心的動因とがある。シミュレーションが十分出来れば、後は下位の欲望・本能と言った心的動因で行動出来る。しかし、シミュレーションを十分せずとも行動する為には、外形・外見・外に現れた行動・外に現れた表情・言葉・態度等より相手を十分大切にすると言う、高度の心的動因が必要である。十分シミュレーションしていないので、相手を大切にしないと、協力関係が続かないからである。利益を考えず盲目的に相手を大切にする働きが高度の心的機能にはある。シミュレーションされていれば、自分に不利な場合は欲望に従わない行動を取ることが出来るので、相手を大切にする気持ちは必要なく、単に欲望を抑えるだけで良い。協力し合う必要のある場合、相手を大切にする気持ちを起こし、協働して目的を達成する機能がある。利害が一致していない場合、相手の外見や一時の態度から、ねんごろにする気持ちも起こる。気持ちの本質を抽象化するか、行動に現れた外形を抽象化するかがある。前者は、相手のことを大切にし、惹かれる気持ちをベースにし、単に自分の欲を満たすことが目的なのか、相手の利益のみを図ることが目的なのか、協力し合うことが目的なのか、相手を利用することが目的なのか、相手に捧げることが目的なのか、お互いを利用し合っているのを認識し認容しているのか、認容していないのか、認容してはいないが、事情により利用せざるを得ないのか・利用し合っている認識はないのかと言った、本人と相手の意識している中間目的(最終目的は意識してはいない)、意識(自分の中の心的動(=因経験環境から導かれる真理と習得した因果関係より起こる)と諸般の事情によりある目的を選択せざるを得なかったことに対する自己評価)と言った内容を吟味する必要がある。根本は利害関係であり、それを意識するかしないか、十分シミュレーションするかしないか、利害関係は一致しているかいないか、利害関係が一致している場合、相手を利用する意識があるかないか、相手を利用している時それを認容しているかいないか、利害関係が対立している場合、意識しているか、相手をだまして自己に有利な行動を取らせているかいないか、其の事を意識しているかいないか、認容しているかいないか、認容していない場合どのような事情でその行動を取っているのか、その事情が重大なものか軽いものか、軽いものであれば、自己の欲望により相手を利用している割合が大きい。前者は其の点を替えると色々な意味に変わってくる。後者は、同じ目的・作用をお互いがし合い、一人でした時よりも強力に達成出来る様を意味する。利害が一致しているだけで、心の中では、憎しみあっているかも知れない。一瞬たまたま協働しただけかも知れない。→人から更に抽象化する。ある程度は利害を考えているから懇ろという表現を使う。考えていなければ、仲良しと言う。子供同士が懇ろにしていると言うと面白い。動物が懇ろにしているも同様である。精神上の或る心的動因と或る心的動因が利害が一致し協力している。そして、或る程度お互いに利用しあっていることを了解している。そこで懇ろと言うのである。真面目で几帳面な高度の心的動因が下位の心的動因と利用し合って、自分の目的を達成しようとしていることを、認めている状態も面白い。利用しあっていることを全く了解していない場合、愛し合っていると言う。外形から見た抽象化は、相手へのプラスの感情は関係なく、行為の外形的類似性から行う。精神上の相手へのプラスの感情から抽象化を行う場合には、プラスの気持ちはそのままにしておき、目的・意識・正しいと確信している・行った自分に誇りを持っている・認容・諦め・選択したことへの後悔・選択した自分への憎しみ等選択への態度等を検討する。条件設定の抽象化は、言葉による。

念ずる ねんずる念ずる(思う こころの中で願う) 組み合わせ操作することで、単純な動きは目的に適した動きとなり、また不足部分を減少させるようになる。一見複雑な操作の対象も、操作の仕方を工夫すると単純に動かせる様になる。法学は集団の目的の合成を対象とする学問である。集団の存続を通じて、各構成員の存続を図る学問である。集団の機能は、各構成員の存続である。複雑な現象から単純な結果が導ける様、操作する。法学に於いても、複雑な人の行動が合成する集団の現象を、単純な結果に還元し、価値観に基づき判断する。その価値観は、物質構造の後世への存続より導かれる。物質の機能に於いても、複雑な現象を操作し、単純な結果が導ける様にする。その結果が目的に適合した機能である。ある統一的機能を有する物質の塊を1つの概念で表現する。その時の情況に応じ、それは上位から下位までの価値を付けられる。同じ概念でも、現実に応じて異なる価値がつけられ、異なる操作がなされる。何時も同じ概念同士が常に対立しあっている。現実に応じて、対立する概念に異なる価値が付けられ、どちらを優先するか決定される。最終目的は、自己の物質構造の保存であるが、様々な中間目標がある。その中間目標に合致する行為か否かで適正な行為か否かを判断するが、お互いに排他し合う中間目的の場合は、さらに最終目的に近い中間目標をにより、調整することとなる。

能書き のうがき能書き(長所や短所を並べ立てること) 因果関係の全体・その中で現在の状況は何処か・真実の自分はどれかの三つに分けられる。現在の状況は、五感又は言葉で把握される。真実の自分に到達するまでの様々な中間目的がある。その3つにより目的・手段が選択される。しかし、十分シミュレーションされない場合として、低位の心的動因による時と、概念による時がある。因果関係の全体は、万物による万物に対する争いから、唯一絶対者への統合の間を行き来する。現在の因果関係はその中でどのレベルかも問題となる。全体の因果関係の現在のレベルを、特定する必要がある。因果関係の全体は、どの範囲までシミュレーションしているかが重要となる。範囲とシミュレーションの正確さが問題となる。シミュレーションの正確さは、科学により因果関係の法則を明らかにすることで得られる。物質の機械的作用は直接にはシミュレーションしていないが、適者生存によりある範囲においてシミュレーションをしているのと同じ結果となる。因果関係の全体において、様々な機能をそれぞれの因果関係と把握する。各機能はより下位の因果関係の把握の仕方により説明し得る。しかし、心で把握している上位の因果関係である機能も心の中では実在する。より下位の因果関係を使うのは、より正確に結果を把握する為であり、上位の機能をそのものとして感じることも重要である。精神世界では、上位の機能が実在している。それがどう動くかが重要である。下位の因果関係は数学で、上位の因果関係は意思で表現される。中間の因果関係は、適者生存を通じて、目的に適する物的因果関係が残ったものである。目的を持たないが、目的に沿った動きをする。言葉の探求の際には、現在の状況・因果関係の全体・真実の自己を分けて考えなくてはならない。その中でも、因果関係の全体が大半を占める。意思とは何を目的としているかである。単純な目的ではなく、現在の業況から最善の目的を選択しており、他の目的への悪影響を避ける面も考察しなくてはならない。

迫害 はくがい迫害(おびやかし苦しめること)対象は罪の無い者であり、行為者は多数の者である。環境は、大多数の者は見て見ぬ振りをしており、助ける多数の者や機関は無い。対象に重い不利益を与える行為であり、相手には故意過失は無いが、迫害の機能と目的を考察したとき、自分に不利益をもたらすので、追い払う目的で不利益を与えることを意識した行為であることが分かる。対象はその行為に同意しては居ないが反撃を決意してもいない。なされるがままとなっている。対象の意思・本人の意思・環境として存在している周囲の者の意識(何が正しいと考えているか、目的面の正しさである感情のレベル・道徳・法律のレベル・宗教のレベル・哲学の真実のレベルまた、因果関係面の正しさである自然科学・社会科学のレベルのそれぞれの段階における意識がある 本能によるもの、場面の記憶の集積から演繹して導かれたもの、他者に影響され吸収したもの、神の意思から導くもの様々である)と意思(正しいことはこれであるが=意識、今の状況を総合判断して行為を決定する機能で、目の前の快不快に従う弱い意思や全体を考慮して大所高所から見た適正な目的に従おうとする強い意思とがある。弱い意思は、適正な目的を意識してはいるが、出来ない理由を付けてそれを選択しない。実際には適正な目的を選択しても、何かと理由を付けて目の前の快不快に従おうとする弱い意思を面白く眺めることもある。その理由も眺めると面白い。全くシミュレーションしていない場合は大所高所からの適正な目的が見えないので、目の前の利益不利益を追求する。また、真剣に行為しなくても良い場合は、遊び感覚で目の前の快不快に従う。真剣に行為すべき時には、実際には選択しないが、目の前の快不快を眺め良い評価を下すこともある。)、その三者の置かれている状況(助けとなる物・者があるかないか。周囲の者の判断は自分を支持するものか、不支持か。重い利益不利益が掛かっているのか。軽い利益不利益であれば遊び感覚で行っても構わない場合がある。)、その三者を物質として見た場合の規定のされかたを考える。以上は言葉で明言されている規定についてである。次ぎに、場面設定の根本を考える。明言されていない事項は一般的に共通事項との前提条件がある。言葉で明言されていない設定を考える。何時・何処で・誰が・何に・どうして・どのように・どうなったの5w1hを一つ一つ確認する。迫害とは長期に渡ることであり、昨日の何時に迫害を受けたと一瞬のことであれば意味もことなる。場所も全ての場所が前提となるが、特定の場所のみで迫害を受けたとなると、目的が異なってくる。迫害したのが親であれば家庭内暴力となる。相手を追い払おうとして出なく、今は相手の不利益になるが、将来的には利益になることであれば、千尋の谷に落とすとなる。単に言葉で迫害したのであれば差別となる。ものに対して行ったのであれば意味は異なる。相手が喜んだのであれば意味は異なる。→相手に故意過失があり、自分に重い不利益を与える時は罰となる。一人の者が行えばただの害を与えるとなる。多数の者が反対していれば、いじめとなる。助ける機関があれば、ここでも単に害を与えたとなる。軽い不利益を与える場合は、からかわれたとなる。行為者に追い払う以上の目的があれば、リンチ(私刑)になり、自分に不利益はもたらさないが面白いので他者に追従して行えばこれもいじめである。

批判 ひはん批判 まず、機能を明らかにする。そして、他の概念と比べる。精神は本来自由である。何を目的とすることも出来る。意思を把握する時は、何に制約されているかを考える。物質は本来制約されている。それを、様々に物質を組み立てその制約を少しずつ少なくしていく。物質は精神を利用する。精神を制約した形で発現させる。物質と精神とが一体となったものが心である。その両面から見ていく。目的も物質により作られている。その作る手段により、真実の目的とは乖離する場合もある。真の目的とは、機能である。全く自由な意思、真の目的=機能、選択した目的=物質により作られた目的、要素による概念の選択、制約された物質とを対比して見る。

 機能面で類似の概念と対比する。意思への影響・意思の支配の弱い感じでの行動・感じない反射での動作・物質の機械的因果関係を考える。  批判も、明確な目的を持った意思から、明確には目的を持たない感情によるもの、反射的行為、機械的動きに降ろすことが出来る。  行為者が正しい時は批判となり、中立な時非難となり、正しくない時中傷となる。超ひもの振動から精神の自由意志まである。精神の自由意志はどの様な制約があるかで把握される。情報と因果関係の部品により、外部世界が再現される。そこで、そのままでは、何が結論として生ずるので、それをどの様に変えたいかが意思となる。究極的には、自己保存の可能性であるが、中間目的や条件反射的目的もある。十分なシミュレーションがなされていれば、究極の自己保存を目的とする。しかし、十分にはシミュレーションされていなければ、中間目的や目の前の状況のみを目的とすることとなる。感情は中間目的を目的とし、感覚は目の前の状況を目的とする。目的の無いものは、条件反射である。感じのない反射は精神ではあるが、最早感じては居ない。

紐解く ひもとく繙く(書物を開いて読む 紐解く)因果関係が不明な時、原因が不明・目的が不明等因果関係の元の方が不明な時、複雑に絡み合った事実関係を整理し、原因を追究する。命令の内容(法律の文書)などが難解で、容易には理解し得ない時、ジックリ読んで少しずつ明らかにしていく。複雑に絡み合った事実関係や、文章について用いられる。単純な事実関係や文章であるが、その真の意味を追及する場合は、沈思黙考するとなる。機能面では、根気良く複雑なものを整理して、単純な理解しやすい事実関係にし、又は文章にして、理解した上で正しい行動をする。意思の面では、複雑なものを整理して真理を知りたいことになる。外形では、複雑なものを類似するもの同士にまとめて、整理することになる。環境面では、誰も真の意味を知らない。それを追求することを、周囲の人は褒める。言葉の意味では、紐と解くになる。→単純なものを紐解く。誰でも知っていることを紐解く。紐解いてはいけないものを紐解く。紐解いては恥ずかしいものを紐解く。紐解くと叱られるものを紐解く。周囲の人が紐解かないで欲しいと願っていることを紐解く。周囲の人が全く価値を見出さないことを紐解く。単に複雑に絡み合っているだけで、解いても何ら得るものが無いのに紐解く。紐解いて何もなかったので怒る。全く根気が無く、紐解くのを止めてしまう。どんな紐を解くか。具体的に何の紐を解くのか。解き方は。紐解かないと分からないのか。紐解いている場合か。優先順位に関係する。真実を知りたい。紐解く価値がある。→変なものを紐解く。意思と外形である行為と周りの環境が合わさって一つの概念となる。意思を抽象化する方向と、行為を抽象化する方向と、前提とされている環境を変える方法がある。環境は、明言されていない為、自由に具体的状況を挿入出来る。明言されている環境については、抽象化する方法と具体化する方法がある。逆に意思を具体化する方向と、行為を具体化する方向とがある。言葉による規定で正しい概念に一度到達し、その要素(意思・行為・環境の3要素。その3要素から機能が生ずる。行為の対象から最終目的(自己保存)まで因果関係が辿り着く。辿り着かない場合、その行為は機能の対象とはならない。意思・行為・環境を抽象化するか、外部からの情報が概念を生じさせる機能を刺激し、その概念を生じさせる条件を解明し、その条件が生じる対象と実際に機能が働く対象とのギャップを調べる。主体の意思・行為、客体の意思・行為、環境である取り巻く者の意思・行為を調べなくてはならない。主体・客体・環境が物であれば、作用のみを考えることになる。意思の中には、意識も重要になる。最終的に一つの意思を選択したが、最初は全ての意志が生じる。其の中で取捨選択して、一つを選んだ。他の意思を捨てたことに対する意識、それを選んだことに対する意識、認容しているか、認容していないか。他を選択することも可能であったか、不可能であったか。真のレベルで選んだか、善のレベルで選んだか、美のレベルで選んだか。その概念が生ずる客体が変わると意思・行為も変わってくる。主体が変わると意思・行為が変わってくる。言葉による規定を抽象化又は具体化する方法がある。規定一つ一つを文章に組み立て、他のものにしていく。

分別 ふんべつ分別(世間的な経験などから出てくる判断)欲望を抑え、長期的かつ広範囲に渡るシミュレーションにより、人全体・人生全体・子孫等も含めた自己全体・社会全体の利益を図った上で、自己の利益を図る様行動する。全体の利益と自己の利益を一致させるよう行動する。老若男女・社会的地位立場に応じた分別がある。実際とは異なる地位立場の分別を、その者が表わすとギャップが生じる。抽象化する方向と、具体化する方向とがある。具体化する方向には、老若男女・社会的地位立場の別による違い、様々な対立する又は両立しえない価値との取捨選択の判断、及びそれに対する意識、特殊事情の介入による因果関係の変化、分別をもって選択したものの価値の程度を考慮すると向かうことが出来る。抽象化の方向へは、それらを一つ一つ捨てて行き、意思も捨て、物質のみで一般化するところまで行く。物質のみの機械的作用で説明するところから、具体化の方向へ向かい、異なる価値を探る。主体と客体と取り巻く第三者とがある。それぞれについて考える。主体・客体・環境の因果関係を具体的に設定する。特殊の事情を介入させる。
 分別すべきか否か常に判断を迫られる。選択には常に逆の選択もありどちらを取るか決断しなければならない。そう言う意味で、逆の行動を支える価値感が常に存在している。このケースでは分別すべきか否かシミュレーションして判断しなければならない。分別すべきではない時に分別すると否定的な批判がなされる。目的を諦めるのが分別である。欲望等の価値の少ない目的であれば、諦めるべきであるが、価値の高い目的を簡単に諦めることは批判される。自分独自の考え方を抑え、周りの考え方に同調し行動するのが分別と言われることもある。しかし、それが本人や全体の為になる場合は肯定されるが、逆に本人の成功のチャンスの芽を摘んでいる場合や、社会全体の向上を妨げる結果になっている時は否定される。若い時は、逆に分別がありすぎることは否定されることが多い。分別と称して正常な感覚を押さえ込んでいることもある。正しいことが通らないことを諦める。所詮この世は住みにくい。現実を受け入れ諦める態度を分別と称することもある。しかし、それが自分を納得させる為に無理をしているのであり、本来肯定される分別とは異なる。この様に、意思の分野で隣接する様々な概念と比較することが、具体化の方向へ向かい、シミュレーションの低い又は無い意思の概念や物質の機械的作用で規定を括るのが抽象化の方向である。

方言 ほうげん方言(その地方だけに通用することは) 言葉の規定としては、中心に対して周辺の方向と言葉である。周辺のみで使用される言葉と規定されている。それを経験による学習により、「現代において、或る程度の人数を有する広さの地方にのみ使われる、人間が、言葉を、意思を伝える為に、発する。」と言う5W1Hの形の定義と結ばれている。言葉の発音が似ている場合は、駄洒落となる。言葉の規定は何項目か要素があり、方言の場合は、方と言の2要素である。文章の形に直すと、上記の様に地方で使われる言葉となる。この規定同士の関係も経験学習により習得している。5W1Hの中に取り巻く環境の状況が入っている。目的と選択した手段において見出される。5W1Hに含まれない環境の状況は、通常通りであることが前提条件となる。従って、通常通りでない要素を挿入すると価値は変わってくる。→現代の方言ではない言葉。太古の言葉。未来の言葉。→地方ではなく外国の言葉。文化的に遅れている地方の言葉。→文化的に進んでいる地方の言葉。→人数の極端に少ない場所にのみ使われる言葉。一家族内でのみ使われる言葉。一人だけで使っている言葉。言葉は標準とは異なる使い方をすると、軽い制裁を受ける。言葉は共通のものでなければ通じずよって共通でない使い方をすると制裁を受ける。しかし、或る程度の多人数で使用されると尊重される。その程度の人数にならない、しかし、極端に少数で制裁をもろに受ける程度の人数でもない、例えば一家族間でのみ使う言葉は、微妙で面白い。地方とは場所的地方を指す。場所は移動するも、一定集団で使われる言葉もある。文化的に高い集団でも一般人に比べて少数である場合、例えば専門用語・業界特有の言葉を方言と呼ぶと面白い。自分のプライドを害の無い形で守っている。人間の使用する言葉である。原始人の言葉・動物の鳴き声・子供の泣き声わめく声等に使うと異なる価値を持つ。言葉である。人間が肉体から音を発する。意思を伝える為に発する音は言葉と言える。意思を伝える為ではない、生理現象で発した音(おなら)は言葉ではない。しかし、これを言葉と捉えると面白い。音でなく身振りでも意思を伝えるものは言葉と言える。手話も言葉である。目配せ等も言葉と言える。意思を伝える為ではないが、身振り表情で意思を見透かされる場合も、目は口ほどに物を言うと言える。周囲の状況としては、中央の多人数の者が、その方言を使用する者を、文化的に低いと認識している。地方の文化的に低い者が、更に地方の者のことを、文化的に低いと思っている場合異なってくる。また、逆に地方の者が、中央の者の使用する言葉を方言と言うと自己のプライドを害のない形で守り面白い。また、中央が無い場合、地方のみになってしまった場合どうなるか。この様に5W1Hで検証した後、今度は正しい概念に到達した後の抽象化・具体化である。意思(内心の感じ、選択の過程、選択の決定、及び選択後の意識に分かれる)を抽象化・具体化するか、行為(外から見た肉体の動き)を抽象化・具体化するか、機能(因果関係の連鎖により自己保存に利するか否か、他者の道具になり存続するか、自己目的を追求するかも機能に含まれる)により抽象化・具体化するか、取巻く環境(取巻く人の意思・意識、物の作用等行為者の意思・意識や因果関係による機能に影響する)を抽象化・具体化するかである。抽象化又は具体化し、笑える価値を見出すのが笑いであり、自己の望む結論を導き出すのが弁論術である。

無意味 むいみ無意味(意味がないこと)目的を達成する効果が無いこと。真理ではなく、感情感覚に動かされて行為するが、目的に合わない。勘違いして目的に合わない手段を選択する。価値の或る目的を達成する効果が無い。価値の無い目的を達成しようとする。最終目標を達成する効果がないことでは一致している。自己の存在を存続する効果のない作用をすること。他に目的がある行為。→意識しない行動や意識のない作用が、機能の目的を果たす効果のない時。場面の中の意識の部分を作用に、作用の部分を意識に変える。本人は意識して行動している。対象にも意識がある。意識の無い対象でも因果関係が相当複雑である。単純な因果関係の対象に誤った操作をすることはうっかりミスとなる。意識のある対象に操作しても効果が無い。なぜないか。複雑な原因があり思った通りにはならない。単純は原因なら取り除かずに効果の無い働き掛けをしてもおかしい。原因が複雑重大で容易に取り除けない時、働きかけても無意味となる。目的を達成出来ない原因を解決する労力により変わる。
むいみ無意味(意味のないこと)存在が高位になる程、自分で目的を持って自主的に動く。低位な存在は、目的に沿って、動かしてやらねばならない。動かしてやる際、数学を使う。同じ力を複数回加えると結果はどうなるか。掛け算になる。四則計算により、働きかけた結果を計算出来る。要素同士に関係があれば、その規則を使い、一々数えなくても、簡単に計算出来る。高位な存在は、目的により行動する。働きかけるには、情報を与えるだけで良くなる。こちらの望む行動を取らせるには、状況や因果関係に関する誘導する為の情報(必ずしも正確なのもではない)を与え、こちらの望む行為が、その存在の目的に合う様にする。対象への働きかけは、対象が低位から高位になるにつれ、物質的接触から情報の提供へと変わる。高位な存在は、意思により状況を見極め、優先順位の高い目的を選択する。低位の存在は、物質の接触・引力・斥力による機械的因果関係により動く。従って、それを動かすには、同じ物質の接触・引力・斥力によるしかない。精密な物質は、わずかの物質的接触等の刺激を情報として受け取り、機械的目的に合った動きをする。従って、中位の存在に対する働きかけは、情報では駄目であるが、ほんの僅かな物質的刺激で動く。高位の存在に対する情報の提供も物質的刺激により与えられるが、もはや物質的刺激自体は意味を持たない。情報には、高位の存在を取り巻く状況に関する情報、因果関係に関する情報、どれが真実の自己かに関する情報の3種がある。取り巻く状況には、物質から精神まであり、精神の場合は意思・感情等が要素となる。その取り巻く状況から、真実の自己に至る因果関係がある。そして真実の自己は、何時何処にあるどれかと言う問題となる。目的にも低位のものと高位のものとがある。低位の目的は、今此処のことしか考慮しない。高位の目的は、十分なシミュレーションをして、大所高所から判断する。低位の目的が高位の目的とマッチしていれば良いが、マッチしていないとき、無意味となる。今現在の感情(自分に関する感情=恥・プライド・絶望・優越感、他人に対する感情=愛・憎しみ・怒り・哀れみ、状況に対する感情=哀れ・楽・嬉しい等々)を満足させるだけの為に、行為すると、長い目で見れば目的に合っていない。言葉としての規定の仕方で、現実にある様々な機能と機能との因果関係をグルーピングする。機能から見て成功した因果関係もあれば、失敗した因果関係もある。全く、影響しなかった因果関係もある。動かす対象がなければどうしようもない。物質は物質的接触や力により動かす、人は情報により動かす、全知全能となればもはやどうしようもない。
精神的道具は、どの様な物質的部品により構成されているか検討する。物質の機能は限られており、構造を持つことで、その制約を解消し、機能が向上する。その物的構造により、機能を有する感じを心の中に起こし、心の中でその感じは思考の道具となる。感じの機能とその物的構造を解明する。最も高い機能である真偽から、善悪・美醜・物質的機械的動きと、次第に低い機能へと移動して無意味の意味を探っていく。類似の機能が次第に高度な機能へと進化していくのが把握される。意思の範囲内においても、高度な機能と低位な機能とがある。高位から低位へ、低位から高位へと移り意味を探っていく。因果関係全体が存在する。経験・育った環境・学習によりその因果関係全体は人により異なる因果となる。つまり異なる結果となる。因果関係全体の中で、どの部分が真実の自己なのかを定める。そして、現在の状況はどうなのかを五感及び言葉で理解する。そうして、目的手段が定まり行動する。現在の状況の言葉による伝達においては、表現されない部分は通常と前提される。表現された部分のみが、特異な点である。従って、表現されていない部分において、特異な点が含まれれば、違った現在の状況となる。

無垢
むく無垢(汚れや混じりけのないこと)万物による万物に対する戦いの場面においては、全てのシミュレーション能力を駆使し、持てる全ての心的動因を使って対処しなければならない。純粋に肯定される心的動因のみを使ったのでは、対処出来ない。戦いの経験がなく、否定の要素のない心的動因のみを使って生活している者を無垢と言う。醜・悪・偽の要素を有するものも駆使しなくてはならない。自己の現在の利益と長期的展望に立った利益、自己と他者との利害の一致、自己と全体との利害の一致している場合は、否定の要素はない。自己の現在の利益を図る欲望と長期的展望に立った自己の利益を図る理性、他者の利益を図る道徳、全体の利益を図る法律感覚、神の意思の実現を図ったり、哲学的思考により目的を明確にする真理の感覚が対立する場合に、欲望は醜・悪・偽の要素を含む。自己の現在の利益を図る心的動因には、美と醜がある。美と醜は単純に対立するだけである。真・善・美と対立する欲望を選択しなければ、自己保存が図れない場合には、醜・悪・偽を選択しなければならない。他者を欺き、利用し、強迫することも必要となってくる。自己の保存が守られ、保護されている場合に、否定の要素のない、肯定されるだけの心的動因により生活出来る。

用具 ようぐ用具(あることに必要とする道具)目的の手段となるもので、意思の無い存在である。本人はそれを目的に沿って使用する意思を有する。→相手の意思の一部を道具のごとく利用する。相手の意思にも内部対立する様々なものがあり、その内自己に有利な意思を利用する。用具は目的に沿った機能を有する。→使い方によっては、高い機能を発揮できるのに、低い機能しか使わない。高い性能を有する器具を単なる物体としてしか使わない。全く機能が無いのに、有るものとして使用する。単なる物体を器具として使用する。目的を達する機能がありそうでなかった。目的を達成するために働きかける対象となるか否かは、いちいち因果関係をシミュレーションして決定するのではなく、経験等により形成された概念により選択する。その際、五感から入る情報により、形式的に概念が決定される。その決定する要素が含まれていれば、実際には機能が無くても概念が生じ、対象として選択される。選択されるが機能がない場合がある。特別の環境(対象から自己に至るまでの因果関係の連鎖の途中)があり、目的を果たさない場合がある。特殊な者が介在することにより最終目的まで因果関係が連鎖しない。その特殊な者が精神であり、単に物質として因果関係の連鎖を断ち切ったのも面白い。目的を持った行為を助けるものである。心的動因にも様々があり、単に心的動因を満足させるだけの用具か、最終的に自己の保存に役に立つ用具か。→困難な状況に直面した時、単に下位の心的動因を満足せせる為だけの行為を用具を使って行う。手に入れる費用と機能の高さより最適な用具を選択して使用する。→無意味に高機能高価な用具を使う。役に立たない程低機能で安価な用具を使用する。他に最適な用具が容易に手に入るのに、それを使わず別の用具を使用する。そう言った、意識して用具を使用する時の意思決定に使用される機能の内に、面白い意思がある。これは、目的を決定した後の用具の選択及び使い方に関する意思決定である。目的の設定の際の意思決定については、前記の下位の心的動因を満足させる様目的を設定するか(物質的自己保存が最終目的か、精神的快楽が最終目的か)、因果関係を誤って自己保存にプラスにならない又はマイナスになる行為を用具を使って行う、他者の利益になる様な行動を用具を使って行うと言ったことが考えられる。優先順位の決定においては、重要でない目的を下位の心的動因に基づき選択することが考えられる。意思を決定する各段階における個々の意思決定において様々な価値が存在している。環境により、目的を達する用具ではあるが、それを使うことを笑われ非難され軽蔑されることがある。他の目的行動を助ける機能であるが、全く意識せず利用している場合がある。無意識の行動にも、目的に沿う様行動することが組み込まれている。何かを利用した無意識の行動の内にも用具を利用することがある。単なる物質であるとき、その自己保存作用にプラスになる機能を持つ存在であれば、用具と言える。物質が機能の高い意思や精神を用具にすることがあり得る。

要件 ようけん要件(大切な用件 必要な用件)心の道具には、対象を表現するもの、対象と対象との因果関係を表現するもの、対象を動かす動因となるもの、動因を選択する意思、自己と他者を区別するもの等がある。心の中の感じである道具が、どの様な働きをするかを考察する。対象の動きを表現する精神・心的動因となる精神・その両者よりなる因果関係・因果関係の高度化した機能・機能の内の概念等に精神は構成される。有無から次第に高度な動きに成って行き、原因結果から意思を有する目的手段に到達する。機械的運動から目的を持つ意思になる。機械的運動においても目的を持った機能がある。その機能を有したもののみが後世に残ると言うことで、残ると言う目的に合った機能が残っていく。物質と精神が結合し、目的を有するようになる。それも機能である。一つ一つシミュレーションしなくても、概念により自動的に行動出来る。

要請 ようせい要請(ねがいもとめること要望) 物的因果関係と意思に基づく目的 部分と全体=1人の目的と部分的集団の目的と全体の目的 荒い因果関係と精密な因果関係 人数が増えると、目的が合成されて行く 如何にして目的が合成されて行くかを分析する 目的には、意思により明確になっている目的、適者生存により残った物的構造の持つ目的、機械的物的因果関係に分けられる 目的の合成は、明確に意識されているレベルで行われる 目的とは最終的に因果関係の到達するものとその状態で表現される 多人数の集団になると、集団の全ての者に因果関係は到達する 目的の合成が重要となる 精神が目的をイメージする 精神のみなら自由自在であるが、物質は制約されている 物質を使って目的としたイメージ通りの世界を作り出す 複数の精神がイメージする目的が合成されて、新しい目的となる 精神がイメージした目的達成の為に、どの様な物的制約があるのかを考える。その制約を少なくする手段を考える。最初は唯動くだけであったのが、適者生存を通じて目的を有するようになる。目的には様々な中間目的がある。最終目的は自己の物質構造の保存である。宗教は神の意思を実現することを目的とする。法律は全員の意思から全体の目的を合成する。道徳は自己の目的を追求しつつ、他者の目的を妨げない様にする。理性は自己の目的を間違わない様に追求する。人生全体を通じて利益になることを選択する。感情は、今現在の利益を追求する。機械的動きは、精神無くして目的に合った動きをする。物質の動きは唯動くのみである。自己の物質構造を残すことが最終目標となる。物質的にその形態が残っていかなければ、将来存在しなくなる。そういう意味で、それが目標とならざるを得ない。それ以外の目標は中間目標である。宗教上の神の意思を実現すると言う感覚も、支配者の意思の通りに行動すれば自己の生存を図れると言う中間目標である。多人数の目的を合成した集団の目的も、集団を維持することにより、自己の生存を図ると言う意味で、中間目標である。

脇道 わきみち脇道(本道から分かれた道)目的にも価値の大小があり、優先順位を付け達成していく。価値の低い目的、単に好奇心を満足させるだけのことを選択する。低い心的動因のに動かされ、高い目的があるのに、低い目的を追求する。目的の対象には重点は置かれず、本人の追及すること自体に置かれる。→単純に目的の対象となる人に重点を置くと、本命の異性ではなく、一時の心的動因の為に手軽な異性に近づくとなる。本来の目的が価値の低いものである時、それから外れわき道つまり本来の目的より価値が低いと思っている目的を追求した=わき道に逸れたとすると、本来の目的にそんなに重点を置いていたのかとなる。わき道である目的の方が客観的に見て重要な場合、本人が優先順位をつける際の意思決定がクローズアップされ、意思決定に要する心的道具自体の価値、その使い方に関する価値が生ずる。自己がこの場面のどれかで価値が変わる。自己がわき道なのであれば、悲惨である。主たる目的は価値がある。主たる目的もそれた目的も価値の無い場合、わき道に逸れたと価値の高い判断をすると、理解力が不十分とされ笑いとなる。双方の目的を追求する意識のある行為である。本人の無意識の行為で、他人から見ていて他人の目的とする所から外れたからわき道に逸れたと言うと、他人の目的が価値の低いものであれば面白い。意識した行為でも、他人から見て、他人の主たる目的から外れたからわき道に逸れたとしても良い。物質として見ると、自己存在に最適な作用をすることから外れて別な作用をしたとなる。同じ種類の作用・行動の種類であることが前提とされる。精神レベルに上げると、意識した行為・無意識の行為で類似した行為でなくてはならない。全く別の行動であれば、本道や脇道とは言わない。別な目的を選択したと言う。類似行為で最重要とする目的に最適な行為方法から外れ、最適でない行為方法をしたと言う意味になる。→外形上は類似行為であるが、目的を意識した行為の最中、外形上類似した目的の無い又は意識しない行為をしたとすることが出来る。脇道に逸れたのが敵であり、目的自体が悪である時、自己にとっては幸運となる。軽い悪の場合、助かったと笑える。

postscript

1.物質と目的の2つの対極

 一方の対極である物質の動きは、幾何学に還元される。物質そのものは把握不可能である。動こうとする力と動かそうとする力と止まろうとする力とが幾何学で表現される。単純な図形で表現された力は、それ以上解明することは出来ない。究極的には、無から有が生じなければならない。しかし、物そのものの把握は出来ない為、それは問題とならない。運動自体は、静止と運動を考えることが出来る。従って、無から有を考えることは出来る。振動していない状態が無であり、振動している状態が有である。振動しているものそのものを無から作り出すことは不可能である。
 もう一方の対極である目的とは、物質の形態で表現される。その形態を残そうとする形態が残って行く。自己の形態を残そうとしない形態は、一時的に現れる形態であり、消滅する。将来に残って行くのは、自分の形態を残そうとする形態であり、目的はそれである。基本的な形態を残そうとする形態が残って行く。人間とは、より基本的な形態を残そうとする機能の集まりである。基本的な機能である物質の形態を残そうとする機能である物質の形態が発達する。何重にもその形態が層になっている。究極の基本的な物質形態は、変化することなく何時でも存在している。特別な物質形態は、残るものが残っている。
 人間の機能の外側に、社会の機能を作り上げている。社会の機能とは、人間の物質としての形態を残すことを目的とする。社会の構成員全員の存続を目的とするのが法治国家である。

2.物質形態の存続

 物質は、自己の形態を残す為に精神を利用する。精神は快不快の原理により動く。物質の目的は自己の形態を残すことであるが、精神の目的は快の追求である。物質が自己形態を残せる余裕の範囲内で、精神は快を追求する。目的には、物質の目的と精神の目的の二つがある。
 物質の形態は機能を有する。一体となっているより基本的な物質形態を保存する機能であることもあれば、離れている物質の形態を保存する機能であることもある。前者の機能は自己目的となっている。即ち、自己を保存する為の機能となっている。後者は、他者の道具となっている。即ち、他者が生存する為に使われている。この様に、物質形態は必ず基本的な物質形態を保存しようとする機能を有する。他者の道具となっている時、目的と目的とがぶつかり、複雑な物質形態を取る様になる。この様な物質形態が、社会を形成する。自己目的化した物質形態は、人・動物等一つの有機体となる。もっとも基本的な物質形態は変わること無く、何時でも存在している。

3.物質の因果関係と精神の因果関係

 物質の機能は、機械の歯車の様に、遊びのない因果関係により進んでゆく。精神の機能は、複数の感じが時には対立し、時には増幅し合い、また、打ち消し合い、1つの決断を導く。同じレベルでは、強弱の強い方に決断する。感覚・欲の低レベルで強くても、道徳・真等高次のレベルの感じには勝てない。低レベルとは、自己の物質構造を後世に残す目的のシミュレーションが余り行われないで生ずる感じである。高レベルとは、そのシミュレーションが十分に行われた上で生ずる感じである。これと、目的を達する為の労力とで決定は行われる。

 つまり、決断する感じは、快不快の強弱・シミュレーション・目的達成の為の労力と目的の影響力(自己の物質形態存続にかかる)の四要素からなる。この三要素は、自己の物質形態を残すと言う目的から発生した機能である。外界を再現する為の物的因果関係(数学で表現される因果関係)を表す感じ・自己と他者との区別・目的の推考によりシミュレーションは行われる。
 快不快の強弱は、物質が精神を利用する際、設定されたものである。シミュレーションが十分行われれば、真偽のみの判断となり、他の要素は消滅する。シミュレーションが十分には行われないままに行動する分野(毎日のルーティン的行動・固定概念による行動)では、他の要素別の感じが設定されており、複雑に交錯するその感じにより決断が導かれる。

 物的因果関係を表す形式と、精神的因果関係を表す感じとを要素別に分類することを追及して行く。精神の因果関係は、決断を左右する感じである。物質の因果関係は機械的に因果が進行する。言わば、数学により表現出来る因果関係の進行である。基本的には幾何学で表される。精神の因果関係は、これかあれかの決断を迫られる時に、片方に決めるのを促す感じである。単純にこれとあれが対立している場合もあれば、労力の量を考え、無駄にしすぎるのを抑える感じと対立する場合もある。弱い決定力を持つ感じと強い決定力を持つ感じがある。

4.シミュレーションと判断

 決断をするのは、何が正しいかと言う判断である。正しい自己と自己を存続させることへの影響を把握することで、正しい判断は行われる。シミュレーションしないと、精神の快不快のみに基づいて決断される。単純に快の強さ・不快の強さで判断する。感覚は百パーセント精神の目的により決断する機能である。シミュレーションの幅を広げるにしたがって、自己の物質構造を構成に残すと言う目的に従った決断がなされるようになる。下位の感じによる判断は精神の目的に従って成される。上位の判断はシミュレーションにより物質目的に沿ってなされる。

5.自己保存機能

 物質構造は、自身を保存する機能を持つ物質構造を有す様になる。機能の殆どは、電磁力により作用している。また、その機能を保存する機能を持つ物質構造を有す様になる。それが繰り返され物質はどんどん様々な機能を有す様になり、肉体となる。肉体の諸機能は、より元となる機能を保存する為のものである。肉体は機能の塊であり、機能を保存する為の機能が、何重にも取り巻いている。学習する・思考する・歩く・見る・触る・食べる・恋愛をする・生殖する等々の機能がある。自己の物質構造を保存する為に、生殖する。生殖する為に、恋愛する。恋愛し、生殖するまで、今の自分を続ける為に、食べる。食べる為に、食物に触る。食物に触る為に、見て位置を確認する。食物を発見する為に、歩く。歩いて食物を発見する為に、何処に食物があるか、考える。考える為に、学習し情報を蓄える。これらの諸機能は、自己の物質構造の保存と言う目的に収束する。その目的に成功した物質構造のみが、現在に残っている。

 外界の他者は、肉体の1つの機能から見ると、その機能に関係するものとしないものがある。関係する他者は、因果関係が機能を持つ物質構造を通じて肉体に入り、最終的には自己構造の保存に影響して行く。関係の無い他者の因果関係は、その機能を持つ物質構造からは肉体に入ってこない。他の機能を持つ物質構造から入ることは、考えられる。

6.低次機能から高次機能へ

 機能の最も下位のものは、1(有)が隣の1を押しのけ、隣に移動させることである。接触する全ての1に対して、隣に移動させる作用をする。全ての対象に対して、最も単純な働きかけをする。1が隣の1に何も影響を与えなかったら、因果関係は生じない。
 次に引力・斥力により、離れた対象を限定して、引き付ける又は遠ざける作用に高まる。重力は物質を近づけ、反物質を遠ざける。+は−を近づけ、+を遠ざける。
 引力・斥力を利用し、物質は機械的構造を持つ様になり、より対象を特定し、自己保存に適する作用をする様になる。
 物質は精神と結合し心を作り、その中でシミュレーションする様になる。シミュレーションの結果、目的を達した方法を外界に適用する。外界の作用の対象と、作用の内容を決定する。この様に機能は、因果関係を通じて自己保存と言う目的に適する様に、対象を特定し作用の内容を特定して行く。
 機能は高度になるにつれ、外界の対象に応じて、作用の内容を目的に適する様に変えていく様になる。

7.目的の優先順位

 自己が肉体を通して外界の他者を見た時、その肉体の機能に関係する他者を選び、その操作方法を決める。肉体には様々な多数の機能があり、その数だけ目的がある。目的に優先順位をつけ、優先順位の高いものから順に達成していく。操作の対象は、機能により一定の目的の元に選定され、因果関係を当て嵌められ、自己と他者に区別され、優先順位を付けられ、操作方法を決められる。機能の目的達成への貢献度により、対象は価値を有する様になる。つまり、概念が付け加えられる。自己機能・選定・因果関係・自己と他者の区別・目的・優先順位・価値・操作方法、この8要素が一体となり概念を構成する。概念により、心の中で一々シミュレーションせずとも、行動出来る様になる。対象は別の機能からは、別の概念として把握される。機能の最高位のものは、概念である。

8.快・不快・中性の感じ

 精神の感じは、快・不快と中性に分類される。中性の感じは、空間・時間・物質・光・引力・斥力の力を心の中に再現する。中性の感じにより、因果関係が再現され、操作の対象が現れる。更に高度の機能に対しては、更に高度な因果関係の形式を当て嵌めていく。自己保存に適する場合に快が起こり、適さない場合に不快が起こる。快・不快の感じにより操作する動因が現れる。快を近づけ不快を遠ざける様、対象に対して行為する。快・不快の感じの下位のものは、対象や状況を精密に限定せずに起こる。上位のものになるにつれ、目的に合った場合にのみ起こる様になる。シミュレーションし、理解した上で起こる様になる。自己保存への影響度=操作の必要度、目的を達成する為に要する労力、状況の理解度この3要素により様々な快・不快が現れ優先順位が付けられ、行動が決定される。

9.五感の低次の快不快から真偽に基づく高次の快不快へ

 5感から感じる快・不快は最も下位のものである。自己への影響度を理解せず起こり、目的を達する為の労力も考慮せず起こる。今現在のここに於ける自己の状況が理解されると、喜怒哀楽の感情が現れる。喜怒は快と不快であり、目的達成に要する労力も少なくて済む場合に現れる。哀楽も不快と快であるが、目的達成の為の労力が多く必要となる場合に現れる。シミュレーションする時間と空間を広げると、道徳的感覚が生じる。善悪等である。今ここの自己にとっては、喜怒哀楽であるが、一生をシミュレーションして見た場合、プラスとなる場合善が現れ、マイナスとなる場合悪が現れる。シミュレーションの対象を他人に広げると、正義不正・公平不公平・平等差別と言った法的感情が現れる。他人にとっても自分にとっても保存に良いものか、悪いものか感じる様になる。

10.真の目的の発見

 シミュレーションの対象を、本当の自己は何か、目的は何かまで広げると、真偽と言う感覚が生じる。本当の自己は、この肉体なのか。この肉体を少しでも長く保存することが目的なのか。本当の自己は肉体である物質構造であり、子孫を通じて物質構造を残すことが目的なのか。本当の自己は精神なのか。自己の精神は何を目的としているのか。自己は精神であるが、神の一部なのか。神は何を目的としているのか。

11.真偽の判断

 真善美と感覚的な快不快から、シミュレーションし目的に合った快不快へと高まる。高まる程強く意思に影響する。決定を左右する。上位の快不快は下位の快不快を退ける。5感の快不快は、笑って済ませられる。シミュレーションし喜怒哀楽が生じたが、よくよくシミュレーションしてみればそれは誤解であった場合、喜怒哀楽と言う心的動因を解消する必要がある。一度生じた喜怒哀楽と言う心的動因は、笑いとなって消えていく。相手の誤解であっても同じ現象が起こる。相手の行為により怒りが生じたが、その行為は誤解に基づくものであった。誤解に基づかない行為であれば、怒りにより報復しておかないと繰り返される。しかし、誤解に基づくので、二度と繰り返される恐れはない。怒りは笑いとなって解消される。同じ相手を笑うことでも、馬鹿にすることや軽蔑は異なる。誤解や道徳から外れた行為を繰り返さない様に、相手に報復している。善悪も正義も真偽が分かると、意思は真偽に従って決定する。

12.因果関係の把握

 快不快及び中性の感じは、自己機能・選定・因果関係・自己と他者の区別・目的・優先順位・価値・操作方法といった概念の8要素を構成する。
 因果関係の把握には、荒いものと精密なものがある。Aと他者との関係の把握の仕方には、他者を全く特定出来ず、関係もあるとしか言えない最も荒い把握の仕方から、他者をBと特定し、AとBに含まれる特定の要素の増減を、正確に数式で表された精密な仕方まである。また高度な形式を当て嵌める方法もある。社会の中で役割分担が生じることにより、各人にはその分担に応じた振る舞いが要求される。老若男女・社会的地位・家庭内での役割に応じ様々である。女男と形式を当て嵌め、シミュレーションを行っている。物についても、目的の元にどの様な道具かと言う形式を当て嵌めている。

13.本当の自分とは

 自己と他者を区別する。自己にも程度があり、自分→直系家族→傍系家族→親族→民族→国民と次第に自己意識が薄れていく。他人についても、味方か敵かで自己意識が変わる。物についても、自己の道具か他者の道具か。味方の道具か敵の道具かで自己意識が変わる。心の中の存在に自己意識の強弱・他者意識の強弱を付け、因果関係によりシミュレーションし、自己保存を図る様目的を設定し、自己意識の強弱と、自己保存への影響度より価値が生じ、優先順位の高い目的が選択され、意思は行動を決定する。

14.中間目標

 自己の肉体以外の外界に対して働きかけ、フィードバックされて自己の肉体に帰ってくる。外界をこう在らせたいとの目的を持つ。最終目標は完全に自己の思いのままにすることである。複数の肉体がその目的を持つと、完全支配→協調→被支配までのいずれかとなる。被支配されても生き残れる。外界の最終目標を達する為の第一中間目標、第一中間目標を達する為の第二中間目標・・・とどこまでも因果関係は続く。途中の目標から肉体の機能に因果関係が入り込むこともある。肉体の機能より因果関係が外界に伝わり、外界の因果関係を経由して、また肉体に因果関係が伝わり、最終的には自己構造の保存に影響する。それぞれ因果関係に関わる存在は目的と手段、目的と手段・・の関係に立ち、因果関係が続く。シミュレーションしない部分は、原因と結果、原因と結果・・・の関係に立ち、因果関係が続く。因果関係は最も単純な1が1を弾くと言うものから、最も高度な真のシミュレーションまであり、様々なレベルの因果関係を通じて、延々と繋がっていく。

15.自己保存競争

 多数の動因が、自己保存の為に、協力し競い合っている。その競争は多数の動因から、次第に勝利したもののみが残り、最後は2者による競争となる。1者がその競争に勝利すると残った1者では纏まる必要がなくなる。競争相手が居なくなるからである。従ってその1者は内部崩壊する。そして多数となり、また競争が繰り返される。外界の競争はそれを延々と繰り返している。

16.言葉による因果関係の設定

 言葉により、因果関係を設定する。上位の機能は下位の機能の規定を含む。

17.法律の概念

 法学上、法律行為が成立したか否かは、行為が完了したか否かによる。有効か無効かは、意思があったか否かによる。意思がなかったものは無効であるし、意思があったものは有効である。意思が無かったものでも、原則は無効であるが、取引の安全上表見代理等の例に見られる様に一旦は当然には無効とせ無権代理とし、有効となる場合と無効となる場合を考察することがある。意思があった場合には有効であるが、それが十分でなかった場合、有効であるが取消し得るとなる。無効は最初から無効であり、誰でも主張出来る。
 しかし、錯誤等に見られる様に、本人は無効を主張出来るが、相手方や第三者は本人が無効としない場合その無効を主張出来ない。取消しは遡及するので初めから無かった事になる。善意の第三者に対抗出来る場合と出来ない場合がある。善意の第三者に対抗できる時でも、自己が対抗要件を得ない内に取消し後第三者が新たな権利を取得すれば対抗要件の問題となる。解除は将来に向かってのみ効力がある。これらの概念は、取扱いを多数決で定めたもので、概念自体が真なのではなく、取り扱う為の道具である。権利義務があるか否か。有効か無効か。取消しうるのか。解除出来るのか。等等、権利義務を物質化している。対象の動き・動かし方が総てであり、対象自身は不可知である。
 人の思考方法は、余りに複雑な動き・動かし方には対応出来ず、動き・動かし方を物質化し(名詞となり、作用の全体が物質として把握される)、この作用・機能があるからこう動かすとする。その最たるものが、権利義務である。本来は、この様に取り扱った結果的が、正義・公平・平等・取引の安全や社会全体の利益を向上させる等の公共の福祉に合致するところまで考察して、取扱いを決める。しかし、それでは複雑で、結果が確定的でない。そこで、こう言うケースでは、権利があるとか無いとか。有効無効・取り消し得るとか解除出来ると考える。大本は意思の合致があったからそれに沿った権利義務がある所から始まる。その権利を実現する為に、各種の請求権が与えられているか与えられていないかと思考する。
 有るとか無いとか、与えるとか剥奪するとか、国家からの取り扱われ方を権利義務として物質化してイメージして思考する様になる。基本は、取扱いの結果をシミュレーションし、各種の基準に照らし合わせ、最適と判断される取扱い方法を多数決で決定し、法律という文章で表現した。その表現方法として、権利義務と言う物質化した概念を使っており、法律の解釈は、物質化した概念を理解し法律が表現している取扱い方法を理解することにある。

18.シミュレーションと数学モデル

 数学が使える様にモデルを設定することが、他の自然科学及び社会科学の目的である。存在と存在の関係・操作や作用の結果、対象がどの様に変化するか。2回足したら幾らになるか。二回引いたら何個残るか。何回引けるか。力が加わり続けたら、速度はどう変化するか。数学が使える所までモデル設定が出来れば良い。社会科学では、モデルを設定し操作の方法を決定する。社会の構成員全体の生存の確率が最終結果である。自分のみの生存の確率が最終結果なのは、経営学等である。その確立を出すことが出来れば完全なモデルであるが、そこまでは出来ない。中間目標である、正義・公正・平等・公共の福祉・お金・GNPやGDPの成長率・失業率・富の配分・出生率で判断する。

19.多数の目的の同時発生

 1つの場面がイメージされると、あらゆる心的動因が一旦は起こる。その中から、シミュレーションにより最優先の目的に合う心的動因が残り、行動を起こす。あくまでも行動の源は心的動因である。シミュレーションをした上で、真の裏打ちがある心的動因が取捨選択され残る。その取捨選択の際の決定を支える心的動因がある。決定の1つ1つが価値を有する。観察すると面白い。従って、取捨選択した後から始めずに、一旦総ての心的動因をイメージすることから始めるべきである。

20.数学による概念操作

 数学は全て方程式で表現される。方程式=求める値の時、各要素間の関係より、各要素に係数を掛け求める値を算出する。方程式=0の時、各要素間の関係より各要素が取りうる値が制限される。要素間の関係を表現する。幾何学は多少表現が難しくなる。しかし、可能である。代数学→幾何学→物理学→化学→生物学→社会科学となるに従って、方程式での表現が困難になる。それは、完全なモデルを構築することの困難さによる。

 数学は、変数と定数からなる。定数は変数間の関係を表す。変数は要素である。ある数値は関連のある要素=関連する変数の計算式で表現される。三角関数は円における角度と辺の長さの関係から計算される値である。

 数学は、ある数とある数を足す・引く・何回か足す=掛ける・何回か引く=割る操作をすることである。ある数が、数式で表される時=変数と変数の関係がある時=方程式の四則計算の時、一々実際に四則計算をしなくても、規則性より簡単に計算出来る場合がある。それを法則と言う。三角関数や級数の時規則により簡単に計算が可能となる。

 物質の機械的因果関係においては、働きかけと結果は数学で求めることが出来る。各要素間の関係と要素への働きかけは、数学で表現され、計算される。意思においては、それは自ら動き、それに対する働きかけは情報の提供と言う形を取る。意思は状況の把握・因果関係のシミュレーション・自己の区別より、優先順位の高い目標を選択し、その目標を達成する手段を決定し対象に対して働きかける。その意思へ、現在の状況・因果関係・自己に関する情報を提供し、望む行動を取らせる。その情報は真実のこともあり、見せ掛けだけの虚偽の場合もある。そこにおいては、数学では表現されず、意思と言う精神的なものとなる。意思は何らかの心的動因に支えられている。心的動因の無い時、全くの自由意思となる。完全な情報を有している時、全知全能となる。全知全能である自由意思はもはや規定の仕様がない。規定は何らかの制約がなければ出来ない。制約が無くなれば把握の仕様も無く、働きかけの仕様もない。意思は精神的制約により規定される。情報提供は主には言葉によるが、身振り・表情等によることもある。意思を未だ持たないが、高度に機械化された物質は、自己を保存すると言う目的を有するようになる。物質的働きかけも行われるが、その目的に沿った機械的動きを利用して、望む動きをさせることもある。

21.精神による因果関係の把握方法

 精神による把握の方法は、下位の物質的なものであれば、何も無い状態から作り出していくことになる。その際は数学により表現されることが多い。最下位の無は把握の仕様がない。精神的な上位のものになれば、何らかの制約により把握される。意思は何らかの心的動因に支えられており、心的動因は状況把握・因果関係の把握(育った環境や過去の経験によるところが大きい)・自己の区別により導かれる。その過程における制約により精神は把握される。最上位の全知全能な自由意志はもはや把握の仕様がない。

22.行為後にも残る感覚

 意思決定も一旦なされても、また同様なケースが生じるかもしれず、その選択に対する後悔・肯定・否定・迷い・誇り等様々な評価をその後も行っている。完全に再発はせず、終わってしまったのであるなら、評価はされないはずである。

23.言葉による状況設定

 言葉による規定。物質的な創造か、精神的な制約を表現する。5W1Hの要素を持つ。時、空間、主体たる物質、客体たる物質、主体の形容、客体の形容、主体の行為、主体の目的、行為の副詞、その結果を要素とする。

24.心の中の世界と、外の物質世界

精神のみでは、何も感じない。物質である脳の刺激を受け、精神は様々なものを感じることが出来る。よって、 物質と精神の協働により心が生じる。
心の外の物質界(外界と言う)が、本当に存在しているかは分からない。外界は自明ではない。存在するにしても、 どの様な姿かを知る術はない。自己にとって自明なのは、感じている自己の心の中の世界(内界と言う)であり、 外の物質界の存在や、他人や動物等が自己と同じように心を持つのかとうかは自明ではない。

25.心の中の世界における法則と、外の物質世界の法則


しかし、心は脳の物質構造により、外界の因果関係を忠実に再現する様に作られている。心の中の世界における因果関係により、 自己は世界の中に置かれている状況を理解し、心の中の世界に働きかけてみる。その結果が目的を達するものであれば、 今度は同様の働きかけを肉体を通して、外の物質世界に行う。
そうして、外界において自己の保存を図っている。外界の因果関係と内界の因果関係が異なっていたとしたら、 内界においては自己の保存に適した行動であっても、外界においては不適切な行動である可能性が大きい。そうなると、 外界において自己の保存は図れない。
外界において自己の保存に成功して来た物質構造のみが、将来に残っていく。自己保存に失敗した物質構造は、無くなって行く。 今存在している物質構造は、自己の保存に成功した構造である。従って、外の物質界の因果関係を、心の中の世界に忠実に再現し ていると言える。


26.心の中の世界における因果関係

心の中の世界の因果関係は、本来制約されてはいない。心の中では、存在は生じたり無くなったりする。増えたり減ったりする。 1+1=2とは限らず、1+1=1でも1+1=3でも何でも良い。
しかし、外の物質界の存在は生じるものでもなく、無くなるものでもない。増えたり減ったりするものではない。絶えず、 その姿形を変えているだけである。1+1=2と言う関係が常に成立する。
その為に、心も1+1=2の関係を選んでいる。1+1=3を選ぶと、外の物質界に於ける行動は失敗する。その為、 心の中の世界における因果関係は、1+1=2に限定されている。そのこと自体より、心の外の物質世界を想定せざるを得ない。 そこで、心の外の物質世界の因果関係を、心の中に再現する道具について考察していく。


27.空間

まず、外界の存在を再現するには、心の中に空間が必要である。上下、左右、前後の3方向の長さが生じる。そして、 方向と方向との間に角度が生じる。これで、心の中の世界において、この存在はこの空間を占めると再現される。
長さは1ずつ増える。角度は、360度まで増えると0度に戻る。長さと角度より、空間内のあらゆる長さ、面積、 体積を求めることが出来る様になる。しかし、空間の長さと角度のみでは、存在が心の中で移動出来ないので、 存在間の因果関係は再現出来ない。


28.時間

存在が心の中で移動する為には、時間が必要となる。時間が加わることにより、存在は過去この位置にあり、現在はこの位置に移動し、 未来はこの位置に来ると、存在の移動を再現出来る様になる。
時間は1ずつ過去から将来へ向かって増える。時間と空間とにより、存在の移動速度を再現出来る。しかし、無の空間が移動しても、 他の存在には何も影響を与えない。移動する実体が無いからである。


29.物質

存在と存在との間の因果関係を再現するには、実体が必要となる。実体をイメージする最も基本的な方法は、有るか無いかである。
科学は、物質の複雑な変化を、より基本的な変化で説明して行く。生物の変化を分子で説明し、分子の変化を原子で説明し、 原子の変化を素粒子で説明する。より小さい空間の、より短い時間における、より単純な変化で説明して行く。その最終的な説明方法は、 そこに何かが有るか無いかとしか言えない、極小さい空間・極短い時間に辿り着く。
物質自体をイメージすることは出来ない。物質の変化のみイメージすることが出来る。物質間における因果関係を心の中に再現するには、 それで十分だからである。
有るか無いかを、何か他のイメージで説明することは、もはや不可能である。従って、存在の有無より基本的な思考の道具は無い。


30.有と無

物質の最も基本的な把握の仕方は、極小の単位時空間が0(無)と1(有)のいずれかになっているイメージである。


31.有の移動

単位時空間が1(有)か0(無)のままでは、何も起こらない。1(有)が隣の単位空間に移動しなければならない。 隣が0(無)であればそこは1(有)となり、元の空間は0(無)となる。隣の空間が1(有)であれば、 1つの単位空間に2は存在出来ないので、隣の1(有)は更に隣の空間に移動する。1(有)の玉突きが続く。
1(有)は絶えず移動し、1(有)同士が衝突している。
1(有)は1つ2つと数える。常に1+1=2である。
空間と時間及び有と無は、他のイメージでは感じることは出来ず、直感である。


32.1(有)同士の集まる力と存在X

1(有)が移動し衝突し合っているだけでは、それ以上の変化は再現出来ない。1(有)同士が集まると言う性質が必要となる。 1(有)同士の集まる性質と、1(有)同士の衝突し合う性質により、極小さい弾力のある球状の塊が再現される。その塊を存在Xと呼ぶ。


33.ひも状の振動と球状の振動

その塊は一方から衝撃を受けると、その衝撃が波の様に伝わり他方に飛び出し、また引き戻され今度は逆方向に波が伝わる。 それが繰り返えされると、弾力のある塊は細長い紐の様に見える。これを紐状の振動と表現する。
又、三次元全ての方向から同時に衝撃を受けると、衝撃波は中心に向かい、中心を過ぎると今度は外に向かう衝撃波となる。 波が外側まで伝わると、外にやや飛び出しそして集まる力により引き戻され、また中心に向かう波となる。形は球に見える。 これを球状の振動と言う。


34.物質波

空間は、存在Xの極小さい塊で満たされている。しかし、まだ振動を始めてはいない。大きな爆発により、存在Xは三次元全ての 方向から衝撃を受け、球状の振動を始める。その球状の振動は物質波であり、物質と認識される。球状の振動は外側にやや飛び出すので、 隣の存在Xに接触する。隣の存在Xは、一方向から衝撃を受けるので、紐状に振動し長く伸び、すぐにその振動は隣の存在Xに伝わる。 紐状の振動は直線方向にすばやく伝わる。その速度は光速(C)である。
紐状の振動が、球状の振動をしている存在Xに辿り着くと、紐状の振動はその存在Xに吸収される。存在Xは球状の振動をしながら、 同時に紐状の振動を始める。球状の振動のみでは、隣の存在Xには十分に接触出来ない。従って、球状の振動のみでは、 隣の存在Xにはその物質波は伝わらない。
存在Xが球状の振動と同時に紐状の振動を始めると、存在Xは紐状に長く伸び、隣の存在Xと十分接触する為、球状の物質波は隣の存在 Xに伝わる。
ひも状の振動が、物質波を伝える力である。


35.引力と斥力

物質波Aから発せられた紐状振動が、物質波Bに吸収される。物質と物質間には、引力と斥力の2種類の力が働く。つまり、 紐状振動を吸収した物質波Bは、物質波A方向に伝わる場合と、逆方向へ伝わる場合の2通りがある。物質波Bも紐状振動を発し、 物質波Aに吸収される。物質波Aと物質波Bは紐状振動を交換し合い、両者は序々に近づいて接触するか、或はどんどん遠ざかって行く。
紐状振動を吸収した物質波Bは、球状振動と同時に、紐状振動を繰り返す。その際、引力と斥力を生じさせる為には、 球状振動と紐状振動とが合体し、紐状振動の進入した方向に強く振動する場合と、逆方向に強く振動する場合とを区別する必要がある。 前者の場合、存在Xは紐状振動の進入した方向に長く伸び、逆方向には伸びない。後者の場合、紐状振動の進入した方向には伸びず、 逆方向に長く伸びる。前者は、紐状振動の進入した方向に物質波が伝わり、引力となる。後者は、紐状振動の進入した方向とは 逆方向に物質波が伝わり斥力となる。
つまり、紐状振動と球状振動とは、合わさると大きな振動になる場合と、打ち消しあって小さな振動となる場合とを、 区別する必要が生じる。三次元では同じ振動と把握されても、同じ振動と正反対の振動を考えなくてはならない。便宜上、 これを正振動と負振動と表現する。
球状振動は、外に向かう時は正振動である。外から中に向かう時負振動に変わる。中心で負振動がぶつかると正振動に変わり 外側に向かう。
紐状振動は、正振動と負振動を繰り返す。物質波から発せられた時、負振動として伝わっていく。物質波Bに吸収され反対側にぶつかると、 正振動に変わり逆方向へ伝わる。そして、正と負の紐状振動を繰り返す。
その際の存在Xを観察する。存在Xを円で表わす。紐状振動が進入したのが左側とする。紐状振動は負振動としてし左から進入し、 右の円周にぶつかり今度は正振動として左に向かう。右左に正負の紐状振動を繰り返す。物質波は、正振動として外側に向かい、 円周にぶつかると内側に向う負振動となる。中心で負振動同士がぶつかり、今度は外側に向かう正振動となる。円の中心から右には、 紐状振動は負振動、球状振動は正振動であり打ち消しあって小さくなる。円の中心から左側へは、紐状振動は正振動、 球状振動も正振動であり、合体して大きな振動となり、存在Xは左側に大きく飛び出し、隣の存在Xに接触し球状振動(物質波) が隣の存在X伝わって行き、引力が生ずる。
物質波が外側には負振動、内側には正振動の時、紐状振動は正振動として発せられ、それを外側に正振動・内側に負振動の 物質波が吸収すると、斥力が働く。
次元は三次元では足らない。これで心の中に、引力と斥力が再現された。


36.質量と慣性

物質波の振動数には多少がある。1つの紐状振動で、1つの球状振動が一緒に隣の存在Xに伝わる。球状振動数が多い程、 隣の存在Xに伝えるにはより多くの紐状振動を必要とする。物質波の振動数が多い程、移動し難くなる。これで質量が再現された。
物質波は一度移動し始めると、球状振動と紐状振動は進行方向に同じ振動となるので、そのまま移動を続ける。 移動を止める為には、反対方向から紐状振動が進入しなければならない。これで慣性が再現された。
質量が大きい程球状振動数が多く、より多くの紐状振動を生じる為、引力が大きい。質量が大きい程、 より多くの紐状振動を吸収しなければ移動できず、慣性が大きい。


37.エネルギー

物質の質量と慣性及び速度より、エネルギーが再現される。質量・慣性及び移動速度は、存在Xの振動で表現される。存在Xの振動は、 時空間と1(有)によりイメージされる。従って存在Xの振動は、直感ではなく形式である。
波の高さと振動回数により、エネルギーが表現される。エネルギーは1ずつ増える。引力・斥力は距離の二乗に反比例して 弱くなっていく。距離が2倍になると、円錐の底面は4倍の面積となる。同じ角度に伝わる紐状振動の数は同じなので、 距離が2倍になれば引力・斥力は4分の1になる。
引力・斥力を受け続けると、物質の移動速度は時間の二乗に比例して速くなる。これで物質間における因果関係が再現された。


38.思考の道具

以上の各道具によって、物質間の因果関係は心の中に再現される。道具は真実を基準としない。一番使うのに適したものが、 正しい道具である。外界に心の中でイメージしている様な、空間・時間・物質があるか否か知る由も無い。ただ、 そのイメージを使えば適した行動が取れるので、正しい道具と言える。
心の中に、物質界を再現し難い場合がある。「光速度不変の原則」である。光は観測者が、光に向かって移動しながら観測しても、 逆に光と同じ方向へ移動しながら観測しても、常に299,79.5q/秒と計れる。これを解決する為に、安易に空間と時間の直感を 変化させてしまうと、物質界を再現する基礎を失う。あくまでも変化するのは、物質の方としなくてはならない。


39.観念的な時空間

観念的な時間や空間が変化すると、観測者Aにとって光の速度は変化するであろうか。今、観測者Aが速度C/√2q/秒で光と並走している。 静止者に、観測者Aと光は(1−1/√2)Cq/秒で離れていると見える。「光速度不変の法則」を満足する為には、観測者Aにとって、 光の速度は(1−1/√2)Cq/秒からCq/秒に変化しなければならない。この時、静止者の1秒は観測者Aの(√(2)−1)秒となる。

※参考
t’=t*(√(C2−2VCcosθ+V2)/C )/(√(1−V2/C2)) CATBIRD変換
t’= (t−(Vx/C2)) / √(1−(V2/C2))           ローレンツ変換
V=C/√2 , cosθ=1 , x=Ctで計算すると、CATBIRD変換では√(3−2√2)に、ローレンツ変換では√(2)−1となる。 2乗すれば双方3−2√2となり、両者は等しいことが分かる。

観念的な1秒が(√(2)−1)秒に変化しても、観測者Aにとって光の速度は、(1−1/√2)Cq/秒と変わらない。速度=距離÷時間であるので、 観念的な空間は自動的に(1−1/√2)Cqが(1−1/√2)* (√(2)−1)Cqに変化する。静止者には、1秒間に(1−1/√2)Cqの速さで、 光はAから離れていくと見える。観測者Aには、光は(√(2)−1)秒間に(1−1/√2)* (√(2)−1)Cq遠ざかって行くと観測される。 Aを基準にすると、光の速度はどちらも(1−1/√2)Cq/秒である。観測者Aにとって、光の速度はCq/秒には変わらない。

観念的な時間や空間は、物質の変化を順序だてて描く為のキャンパスである。その一部が大きくなったり小さくなったり、 若しくは速くなったり遅くなったりしても、再現された世界にとっては影響がない。あるスケールのキャンパスから、 他のスケールのキャンパスに因果関係が伝わったとしても、1秒は1秒であり、(1−1/√2)Cqは(1−1/√2)Cqである。 光の速度は(1−1/√2)Cq/秒のままである。


40.真空を真に空な空間と考えると

光が伝わる空間を、真に空な空間と考えると、空間は大きさや位置を考える事の出来ない観念的な存在となる。 そうすると、観測者Aにとって1秒が(√(2)−1)秒変われば、観念的な空間も自動的に(1−1/√2)Cqが(1−1/√2)* (√(2)−1)Cq 変化する。静止時に光は1秒間に(1−1/√2)Cq進んでいた。観測者Aが速度C/√2q/秒で光と並走すると、光は静止者の基準で言えば、 (1−1/√2)* (√(2)−1)Cqを1秒で進む様になる。
しかし、静止者の1秒は、観測者Aの(√(2)−1)秒なので、 観測者Aには光の速度は(1−1/√2)Cq/秒と変わらないが、静止者の基準で言えば、光は速度が(1−1/√2)Cq/秒から (1−1/√2)* (√(2)−1)Cq/秒に変化する。
つまり空間は「光を一定速度で伝える場」では無くなり、観念的な数値のみの存在となる。 光が1秒間に伝わる距離がCqであるとしか定義出来なくなる。1秒の定義が変わると、自動的にCqの定義が変わり、 光の速度は(1−1/√2)Cq/秒からCq/秒には変わらない。


41.実体のある空間

Aにとっての時間が変化しても空間自体は変化しないことが必要である。その意味は、時間が変化しても、静止者の基準で、 光は一定速度で空間を伝わらなければならないと言うことである。その為に空間は、観念的な数値ではなく、 大きさを考えることが出来き、光を一定の速度で伝える実体がなければならない。時間の1秒が(√(2)−1)秒に変化しても、 空間には光を一定速度で伝える実体があるので、空間は大きさを変えない。(1−1/√2)Cqは(1−1/√2)Cqである。
そうすると、観測者Aには光が(√(2)−1)秒間に(1−1/√2)Cq進むと観測される。光の速度はC/√(2)q/秒である。 しかし、観測者Aには、その光だけでなく、他の光や4つの力が全てその方向にはC/√(2)q/秒で伝わる。そうなると観測者Aには、 光の速度が静止時のCq/秒からC/√(2)q/秒に変化したとは思えない。逆に光が1秒間に伝わるC/√(2)qをCqと計る。
空間は実際には変化してはいない。観測者Aにとって、光は1秒間にCq進むと思えるので、速度はCq/秒である。 観測者の移動速度がCq/秒に達すると、観測者Aにとって、宇宙は大きさの無い点となる。


42.主観的時間の経過

 多数の観測者が様々な速度で移動すれば、様々に経過する時間の流れが生ずる。しかし、1つの空間に多数の時間が存在するとは 考えられない。時間の流れは1つのみであり、移動することにより、物質変化の速度が様々となり、様々な主観的時間が生ずる。


43.物質の作用から精神の機能へ

 物質は、4種類の力により結合又は反発をし、何らかの構造を有し、その構造から他の物質に作用する。それは、物質同士の機械的作用である。その作用に仕方は様々である。他の物質の構造を、破壊し又は保護する作用・自己の構造保持の為に他の物質構造を変形し利用する作用・お互いに自己の構造保持の為に協力し合う作用等々である。
 その相互作用の中で、争いに勝利した構造のみが、後世に残る。次第にその構造は高度なものとなり、自己の構造を保存する機能を持つ様になる。
 高度な機能の殆どは、電磁力に依っている。電磁力による化学反応により、物質は複雑な作用をする様になる。電磁力による作用が高度になるにつれ、物質は蛋白質から生物の肉体となる。
 蛋白質の段階では、まだ物質単体である。ウィルスは蛋白質であり、高度な自己保存機能を有するが、未だ精神と結合していない。終に物質は、精神を利用して自己構造の保存を計る様になる。複雑な外界を再現し、その中でシミュレーションし、目的達成に成功した手段を外界に適用することにより、複雑な状況に対応出来る様になる。

44.作用とその対象の限定

 下位の物質作用から、上位の精神機能に至る過程を補足する。
 物質の最も下位の規定は有無である。その作用は、有が隣の有を押しのけ、移動させることである。有は接触する全ての有に対して、隣に移動させる作用をする。全ての対象に対して、最も単純な働きかけをする。
 次に、物質作用は引力・斥力により、離れた対象に対して、引き付ける又は遠ざける作用をする。重力や電磁力の様に、引き付ける対象、遠ざける対象、作用を与えない対象の3種類に対象を区分して、作用する。
 引力・斥力及び物質の機械的接触による作用を利用し、物質は複雑な構造を持つ様になり、より対象の種類を限定して、自己の構造の保存に適する作用を与える物質的機能を有する様になる。
 終に物質は精神と結合し心を作り、その中でシミュレーションする。シミュレーションする為には、現在の状況の把握・自己の特定・因果関係の設定の3つが必要となる。これにより、現在の状況が自己の保存にどの様な影響を与えるかを理解する。そして、どの対象にどの様に働きかければ良いかを選択する。機能は高度になるにつれ、対象と作用をより特定する様になる。

45.機能の目的の収束

 肉体の物質的・精神的機能は、より基本的な機能を保存する目的を有する。
 肉体の物質構造を保存する為に、食べ生殖する。生殖する為に愛がある。最適な相手と愛し合う為に、最適か否かを思考する。思考する為に学習する。
 又、食べる為に食物を探す。食物を見つける為に考える。考える為に学習し情報を蓄える等々である。
 これらの諸機能は、自己の物質構造の保存と言う目的に収束する。

46.快不快と中性な感じ

 精神的感じは、快・不快と中性に分類される。
 中性である感じは、空間・時間・物質・光・引力・斥力と言った、対象の有する時空間に於ける動きを心の中に再現する。中性である感じにより、因果関係が再現される。これより高度な機能に対しては、更に高度な因果関係の形式を当て嵌めていく。
 自己保存に適する場合に快が起こり、適さない場合に不快が起こる。快を近づけ不快を遠ざける様に、対象に対して行為する。
 感覚や感情と言った快・不快な感じの下位のものは、十分な状況・因果関係・自己の把握をせずに起こる。真実や道徳と言った上位の感じになるにつれ、十分なシミュレーションを行い、目的に沿ったものが起こる様になる。

47.下位の心的動因から、上位の心的動因へ

 5感から感じる快不快の感覚は、最も下位の感じである。それはシミュレーションを全くせず起こる。反射は全く感じずに動くと言う意味で、精神的な機能ではない。現在のここに於ける状況が理解され、その範囲内でのみシミュレーション出来ると、喜怒哀楽の感情が現れる。今の自分のみ考慮している。喜怒は快と不快であり、目的達成に要する労力が少なくて済む時に現れる。哀楽も不快と快であるが、目的達成に労力を多く必要とする時に現れる。
 シミュレーションする時間と空間が広がると、善悪と言った道徳的感じが生じる。一生を通した自分や家族・同族を含めたところの自分が真実の自己であり、長い時間・広い空間でシミュレーションして見た場合、プラスとなる場合善が現れ、マイナスとなる場合悪が現れる。善悪は、目的達成に労力が必要な場合に起こる。労力を要さない時は、喜怒哀楽に戻る。
 他人と共にある自分を真実の自己と認識すると、正義不正・公平不公平・平等差別と言った法的感情が現れる。他人にとっても自分にとっても、即ち全体の保持にとりプラスになるものか、マイナスになるものか感じる様になる。

48.自己と他者の区別

 真実の自己及び真実の目的を認識してシミュレーションすると、真偽の感じが起こる。
 本当の自己はこの肉体なのか。この肉体を少しでも長く保持することが目的なのか。
 本当の自己は肉体と言う物質の構造であり、子孫を通じてその構造を残すことが目的なのか。
 本当の自己は精神なのか。自己である精神は何を目的としているのか、又は目的は無く唯存在しているのか。
 精神である自己は、精神の全体である神の一部なのか(物質の全体を宇宙と呼び、肉体は宇宙の中で循環している様に)。神は何かを目的としているのか、或はいないのか。

49.心的動因の種類と強さ

 感覚(美醜)→感情(喜怒哀楽)→道徳(善悪)→法的感覚(正義平等)→真偽へと感覚が高まるにつれ、より強く意思に影響し決定を左右するようになる。上位の快不快の感じは下位の快不快の感じを退ける。
 下位の快不快の感じは、上位の快不快の感じにより否定されると、笑って済ますことが出来る。喜怒哀楽が一時的に生じたが、熟慮して見るとそれは自己の誤解や誤りであった場合、喜怒哀楽と言う心的動因を解消し、その感じに動かされた行動はしない様にする必要がある。生じた喜怒哀楽と言う心的エネルギーは、笑いとなって消えていく。
 原因が相手の誤解であっても、同じく笑いが起こる。相手方の十分に意図した行為であれば、怒り基づき報復しておかないと、同じ行為が繰り返される。しかし、それが相手の単純な誤りに基づくものであった時、繰り返される恐れはない。怒りは笑いとなって解消される。同時に相手は、笑われた恥ずかしさから、同じ誤りは繰り返さない様になる。
 同じ相手を笑うことでも、それは軽蔑とは異なる。軽蔑は、同じ行為を繰り返さない様に、相手に報復している。
 悪も正義も真実には劣る。

50.言葉による状況把握

 言葉により、現在の状況が表現される。5W1Hの要素を持つ。時、空間、主体たる物質、客体たる物質、主体の形容、客体の形容、主体の行為、主体の目的、行為の副詞、その結果を要素とする。その要素間の関係の変化により、表わされる状況が変化する。
 上位の精神及び物質の結合した存在の規定は、下位の物質的規定を含む。
 主体及び客体たる物質は、名詞で表現されるが、動詞に還元される。物そのものを把握する能力はなく、物は物自体の動きや対象に対する影響の仕方等、動詞の集まりとして把握される。

51.因果関係の把握

 因果関係を認識するには、対象を把握する必要がある。
 下位の物質的なものであれば、この物質はどの物質の時空間に於ける位置を、どれだけ変えるのかと把握される。それは数学により表現される。最下位の無は、把握の仕様がない。
 次第に上位の存在になるに連れ、どの対象のどの機能に、どの様な影響を与えるのかと把握される。下位の作用を組み合わせて、次第に高度な作用が生ずる様になる。
 上位の精神的なものは、逆に制約によって把握される。意思は何らかの心的動因に支えられており、心的動因は、現在の状況の把握・因果関係の理解(育った環境や過去の経験によるところが大きい)・自己の区別により導かれる。その3つに於ける制約(機能の不十分さ)により精神は把握される。
 心的動因の無い時、全くの自由意思となる。自由意志が完全な情報を有している時、全知全能となり、もはや把握の仕様がない。
 物質の機械的因果関係においては、働きかけと結果は数学で求めることが出来る。しかし、意思は自ら動き、それに対する働きかけは情報の提供と言う形を取る。意思は状況の把握・因果関係の理解・自己の区別より目標を設定する。その意思へ、現在の状況・因果関係・自己に関する情報を提供し、望む行動を取らせる。その情報は真実のこともあり、見せ掛けだけの虚偽の場合もある。

52.因果関係の把握の精度

 因果関係の把握には、荒いものと精密なものとがある。
 対象を全く特定出来ず、唯影響を与えるとしか言えない最も荒い把握の仕方(有が有にぶつかり隣に動かすと言う因果関係)から、対象を特定し、その作用を正確な数式で表された精密なものまである。
 社会での役割分担が生じることにより、各人はその役割分担に応じた振る舞いが要求される。老若男女・社会的地位・家庭内での役割に応じ様々なものがある。その役割分担の形式を当て嵌め、シミュレーションを行っている。

53.目的の優先順位と選択後の評価

 肉体には多数の機能があり、その数だけ目的がある。目的に優先順位をつけ、優先順位の高いものから順に達成していく。機能が有する目的達成への貢献度により、対象は価値を有する。
 意思決定は一旦為されても、また同様なケースが生じるかも知れず、その後もその選択に対する後悔・迷い・誇り・肯定・否定等様々な感じを持っている。その判断に対する自己評価の仕方も価値を持つ。

54.概念の発生

 一々細かくシミュレーションしていては、時間及び労力が幾らあっても足りない。一定の状況が読み取れれば(全部を正確に把握しなくても)、自動的に概念が生じ行動出来る機能が生じる。付け加えられる。
 概念とは、画一的な、状況・因果関係・自己の設定・心的動因・行動様式の5つが結合した、心のソフトウェアである。しかし、正確ではない為、概念通りの行動を取ったのでは、誤りとなり固定概念となることがある。

55.概念の物質化

 個人は自己の意思にのみ拘束される。自己の意思に基づく契約行為のみにより、義務を負う。行為が成立したか否かは、行為が完成したか否かによる。有効か無効かは、意思があったか否かによる。意思があったものは有効であり、意思がなかったものは無効となる。意思が無かったものは、基本的には無効であるが、意思が十分ではなかった場合、有効ではあるが取消し得るものとなる。取消した事を対抗する為の要件を得ないと、善意の第三者に対して取消しを対抗することが出来ない。善意無過失で他人に損害を与えても、賠償する必要はない。故意又は過失のある場合にのみ、損害賠償の責任を負う。
 この様に、利益を実現する為に、権利が与えられているか否か(逆に、義務を負うか否か)と思考する。国家からの取り扱われ方を、有るとか無いとか、与えるとか剥奪するとか、物質化した概念を使って、画一的に思考する。

56.方針

 以上記したのは,ほんのアウトラインであるが、それに従って言葉と数学に導かれ、思考の道具を探求して行く。

57.言葉による探求

 哀(あい)
 喜怒哀楽は感情であり、自己が置かれた状況に対するマイナスの感覚であり、その状況から逃れたい。逃れるにも相当な労力を必要とする。余り労力を要しない場合は、悲みになる。非難を向ける相手は居ない。相手が居る場合は、恨みになる。恨みが目標達成に労力を必要としない場合、怒りとなる。自己に責められるべき点があれば、それを避ける為に労力を要した時罪であり、労力を要しなかった時恥である。

 愛(あい)
 愛が望む状態を達成する為には、相当の労力を要する。達成する為に労力を要しない時、欲となる。対象が意思を有しない時、好むとなる。


・・・等々
 今後へ続く

58.数学による探求

 物質的因果関係は、作用や操作の結果、対象がどの様に変化するかで表わされる。2回足したら幾らになるか。2回引いたら何個残るか。何回引けるのか。物質を押し続けたら、速度はどう変化するか。
 操作の対象や操作自体の要素をx・y・zとする。xとy及びz・・・等多数の数字を足す・引く・何回も足す(掛ける)・何回も引く(割る)・自己と同じ数だけ足す(累乗する)・自己と同じ数だけ引く(平方根等)・・等の操作を繰り返した時、x・y・z間に全く関係が無ければ、1つ1つ計算しなければならない。しかし、x・y・z間に一定の関係があれば、その関係を利用して、一部の要素のみを使って結果の数値を導くことが出来る。
 その関係とは、物質の加速運動の際の、時間の2乗に速度が比例する関係、光や物質を動かす4種類の力の出発点から等しい距離にある円周上を運動する物質に於けるX軸上の値とY軸上の値に見られる、2乗して足すと一定値となる関係、重力に見られる距離の2乗に反比例する関係等々がある。自然界の因果関係にはこの様な簡素な関係がある。


・・・等々
 今後へ続く


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