• CATBIRD日記 (物理・数学・歴史・哲学・宗教の未解決問題を扱ってます)
  • 古墳は何故作られなくなったのか

     先日、家族で造山古墳へ行って来た。自然の山を削り前方後円墳を造っている珍しいものである。日本で四番目の大きさを誇る。民家が古墳に隣接し、日常世界と古代の世界とが触れ合っており、何処でもドアを通って過去に来た様な気になる。墳丘を歩きながら、次のようなことを考えた。

     古墳とは、三世紀後半(200年代後半)から七世紀前半(600年代前半)までに作られた、墳丘を持つ古いお墓である。代表的なのが前方後円墳である。初めて写真で見た時は、丸い方が前方であると勘違いしていた。しかし、よく考えると丸い小高い部分に王を埋葬し、前方の長い台形の部分で祭事を行ったと考えるのが普通である。前方後円墳の名の通り、台形の方が前部で、丸い方が後部である。
     古墳は七世紀中頃になると造られなくなった。古墳は、飛鳥時代までで、奈良時代に入ると造られてはいない。これは何故であろうか。

     日本最古の木造建築は、法隆寺金堂と五重塔であり、推古天皇と日本仏教興隆の祖である聖徳太子が607年に奈良県斑鳩の里に創建したものである。これがヒントとなる。

     古墳は、亡くなった王を祭り、命日には祭事を行ったと考えられる。しかし、そこには建物はなく、日頃人が暮らすことは出来ない。王を飾る財宝等を埋めておいても、盗掘される。それなら、墓の上に建物を建て、僧侶や神主等を住まわせ、日頃がらお経や祝詞を上げ王の霊を弔い、財物も盗難されないよう管理し、命日等の定期的な祭事は、僧侶や神主を中心に行う方が合理的である。その僧侶や神主は、一般人の霊も弔い、その際にお布施を貰い、それで寺院神社の維持管理を行う。僧侶や神主は、寄付・托鉢で生計を立てる。

     つまり、王の墓は古墳から寺院や神社に替わったのである。王を祭った寺院や神社として豊臣秀吉を祭った京都東山の豊国神社・徳川家康を祭った日光東照宮等がある。