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光に運動量がある理由

T.光の静止質量

 相対性理論では、「@光子の静止質量m0=0」とします。ですから光子は、真空中を光速度cで移動できます。一方実験的には、@の思考に疑問が残っています。
 そして最新の説では、光子の静止質量m0の上限値は、「10-14 eV/c2」以下とされています。

 また、光子の運動量P=hv/cです。そして運動量P=mvです。A光子に静止質量m0がなければ、相対論の質量増加「m=m0/√(1-v2/c2)」によっても、光子は質量mを持つ事はできません。つまり、光子の運動量P=mv=0v=0です。
 しかし、光子に運動量Pがなければ、B「コンプトン効果」は起こりません。質量の無いものが衝突しても、電子が弾かれることはないからです。

U.コンプトン効果

 「コンプトン効果」を説明します。
 光の一種であるX線を電子に衝突させると、電子は弾かれ運動量が増加します。一方跳ね返った光は、周波数vが低くなり運動量が減少します。そして、衝突前のX線と電子の運動量の合計と、衝突後のX線と電子の運動量の合計は等しく、光子と電子の運動量は保存されます。これを「コンプトン効果」と言います。

 運動量はベクトルです。つまり、運動量には方向があります。一方、エネルギーはスカラーです。エネルギーには方向がありません。
 もし光に静止質量m0がなくエネルギーのみであれば、光は物体を動かしますが動かす方向はないので、運動量はありません。すると、「コンプトン効果」が起こりません。
 しかし実際には、光子は運動量Pを持ち、P= hv/cです。

 一方、光子に静止質量m0があれば、光子の質量mもあるので、物体に衝突すると特定の方向へ物体を弾きます。これで「コンプトン効果」が起こります。

V.光の質量

 更に、エネルギーEと質量mは等価であり、E=mc2です。故に、C光のエネルギーE=hvなので、光子の質量m= hv/c2の筈です。しかし、D光子が静止質量m0を持つと、光速度cでは移動出来ません。

 最後にE光の質量=0だと、光が重力により曲がることはありません。しかし、現実には光は重力により曲がります。(空間自体は重力により曲がることはありません。何故なら空間の中には曲がるものが何もないからです。ですから、光が質量により曲がるのは、光が落下しているからです。)

 AからEを「kothimaroのパラドックス」と言います(2020/02/10am10:02)。

W.kothimaroパラドックスの解法

 「kothimaroのパラドックス」を解法するには、「光子の静止質量m0=hv/(c2*∞')」とするしかありません。
 ※∞'=無限大に限りなく近い数、(1/∞')=無限小に限りなく近い数です。∞は状態であり数ではないので、四則計算の対象になりません。そこで、∞'=無限大に限りなく近い数を使いました。同様に無限小も四則計算の対象にならないので、(1/∞')=無限小に限りなく近い数を使いました。

 つまり、光子の静止質量m0は「(1/∞')=無限小に限りなく近い数」のhv/c2倍小さいことになります。それだけ静止質量が小さいので、D光子は真空中を光速度cに限りなく近い速度c'で伝わります。

 一方、光の運動量P= hv/c=mcです。∴m=hv/c2です。したがって
A速度c'で移動する光子の質量m=m0/√(1-v2/c2)=(hv/c2*∞')/√(1-c'2/c2)=(hv/c2*∞')/(1/∞') =hv/c2です。
故に
A光子の運動量P=mc'=(hv/c2)c'≒hv/c
です。

 また、C光のエネルギーE=mc2=( hv/c2)*c2= hvです。更に、B「質量m= hv/c2で光速度cで移動する粒子が電子に衝突する」=「運動量mc= hv/cの粒子が電子に衝突する」として、「コンプトン効果」を計算できます。そして衝突の前後で、光子と電子の運動量mvが保存されます。

 更に、E光子の静止質量m0は「hv/(c2*∞')」なので、光は重力により曲がります。

 相対性理論では
E2=m02c4+p2c2 (m0=静止質量・m=質量)
です。したがって
光子のエネルギーEの2乗= m02c4+p2c2= (hv/c2*∞')2c4+(hv/c)2c2≒(hv)2
なので
光子のエネルギーE≒hv
です。

 ※上記のとおり、光の静止質量=hv/(c2*∞')、c[m/s]で移動する光の質量m=hv/c2です。ですから、cで運動する光は質量を持ち重力により落下します。そして光子の運動量P=hv/cです。このために光によって「コンプトン効果」が起こります。 光に静止質量m0はないが、c[m/s]で運動している光はhv/c2の質量mを持つとのご意見がここに寄せられました。しかし、「m=m0/√(1-v^2/c^2)」なので、それは相対性理論に反したご意見です。

X.無限小に限りなく近い数

 [F無限小に最も近い数のhv/c2倍]< (1/2∞') です。一方、(1/2∞')= [無限小に最も近い数]なので、[F無限小に最も近い数のhv/c2倍]な数は存在しません。

 しかし四則計算の過程では、Fが存在するとして計算できます。その計算結果Gが(1/2∞')= [無限小に最も近い数]よりも大きくなれば、その数Gは存在します。即ち、計算結果の数値Gを実世界に適用できます。Fは、所謂「不在数」です。

 つまり
速度cで移動する光子の質量m=m0/√(1-v2/c2)=(hv/c2*∞')/√(1-c'2/c2)=(hv/c2*∞')/(1/∞') =hv/c2
です。
 静止している光はありません。光速度不変の原理により全ての観測者にとって、光は光速度cと測定されます。したがって、光子の静止質量m0を(hv/c2*∞')と仮設しても良いのです。それを使った四則計算の結果、光子の質量m= hv/c2となり、この値を実世界に適用できます。

 この様に、H光の静止質量m0=(hv/c2*∞')でなければ、光の質量m=hv/c2になりません。そうなると、光の運動量P=mvも、光のエネルギーEも導けません。

 ※無限小に限りなく近い正数∞'が存在する証明は「無限小に限りなく近い正数∞'」を参照ください。

 ※『@数+1=数なので、数には必ずそれより大きな数があります。』とのご意見が寄せられました。

 しかし、主張@は単なる「直感」であり、論理で導かれた命題ではありません。もうこれ以上1を足すことが出来ない数x、つまり足すとその答えは数ではなくなってしまう数xがあれば、主張@は偽となります。

 この主張@を、集合を使って検証します。
A集合Aには全ての数が含まれる。
B集合Aには数でないものは含まれない。
C集合Aは四則計算について閉じている。
 このAからC全てを満たすと、主張@は真となります。そのことを説明します。

 a∈A 、b∈A 、c∈A、四則計算記号を◎とすると、ABCより全ての数aについて
Da◎b=c∈A
が成立します。つまり、E全ての数は四則計算しても数になります。
∴a<a+1なので、全ての数について主張@と言えます。

 分かり易く説明します。
a∈A・・・aを数とすると、Aよりaは集合Aに含まれる。
(a+1)∈A ・・・全てのaを四則計算した結果は、Cより集合Aに含まれる。
∴(a+1)は数である・・・Bより、Aに含まれるものは全て数なので、a+1は数である。
p<(p+1)なので、「F全ての数には必ずそれより大きな数がある。」=「G一番大きな正の数∞’は存在しない」ことになります。

 一方AとBだけでは、a◎b=c∈Aとなっても、Aに全ての数が含まれる訳ではないので、全ての数について「F全ての数には必ずそれより大きな数がある。」とは言えません。それより大きなものが無い数=「G一番大きな正の数∞’」が、存在する可能性が残されます。
 また@とBのみでは、Ca◎b=c∈Aが成立しても、cが値であるとは限りません。ですから、Fとは言えません。つまり、1を足すと数ではなくなってしまう数=Gが、存在する可能性が残されます。
 更に@とAのみでは、a◎bの結果がCa◎b=(cはAに含まれない)となるケースがあるので、a◎b=cが必ず値であるとは言えません。これでもFとは言えません。つまり、「G一番大きな正の数∞’」が存在する可能性が残されます。

 以上の通り、主張@が真であるためには、前提ABCが成立しなければならないことが分かりました。では「数の集合A」は、ABCを満たしているでしょうか。
 結論から言うと、「数の集合A」は四則計算について閉じていないので、前提Cは成立しません。具体的に言うと、0∈Aですが、数を0で割ることは出来ません。

 そのことを説明します。
 1÷n=(1/n)のnを小さくして行くと、その計算結果(1/n)は大きく成って行きます。ですから、nを限りなく0に近づけると、(1/n)限りなく∞に近づきます。1÷nの意味は、1の中にnが何個あるかです。そして、1の中に0は無限にあります。∴1/0=∞です。

 しかし、1÷0=aとすると、Ha×0=1です。そして、a×0=0なので、Hを満たす数aは存在しません。Hを満たすのは、数でない∞のみです。∞は計算の対象ではありません。従って、数を0で割ることは出来ません。

 この様に、数の集合Aには「1÷0=∞」が含まれません。従って数の集合Aでは、無限大∞=1+1+1+・・・・=無限に1を足す計算は出来ません。∴数には、無限にそれよりも大きな数があるとは言い切れません。何故なら上記のとおり、1を足し続けた結果数でなくなることがあるからです。

 これで、もうこれ以上1を足すことが出来ない数x、つまり足すとその答えは数ではなくなってしまう数xがあることが分かったので、主張『@数には必ずそれより大きな数がある。』は偽であることが判明しました。
 ∴x=限りなく無限大に近い数∞’はあります。

 ではこれから、「無限大に限りなく近い正の数∞’」があることを、「背理法」を使って証明します。
 先ず「I無限小に限りなく近い正の数(1/∞’)は無い」と仮定します。すると「J0の正側の隣には数がない」ことになります。あればそれが「無限小に限りなく近い正の数」になるからです。
 そうすると、「Kその隣にも数はありません」。もし数があれば、それが「無限小に限りなく近い正の数」になるからです。従って、そのまた隣にも数はありません。
 これを無限に繰り返しても、全く数は現れません。数が現れると、それが「無限小に限りなく近い正の数」になるからです。この様に、Iと仮定すると「L0の正側に数はない」ことになり矛盾します。故に「背理法」により、無限小に限りなく近い正の数(1/∞’)があることが分かりました。

 そして逆数にした時、小さい数程大きな数となります。一番小さい正の数は(1/∞’)なので、一番大きな正の数は∞’です。つまり、∞’は「無限大に一番近い正の数」と定義されます。

 この(1/∞’)をkothimaro始数、(∞’)をkothimaro終数と言います(2021/02/25pm19:12)。そして、0は完全には四則計算出来ませんが、数に含まれています。一方、kothimaro終数(∞’)も正の数の足し算と1より大きな数の掛け算は出来ませんが、正の数の引き算と1より大きな数の割算は出来ます。逆に、kothimaro始数(1/∞’)は正の数の引き算と1より大きな数の割算は出来ませんが、正の数の足し算と1より大きな数の掛け算は出来ます。

 数である0は計算出来る範囲内で、足し算・引き算・掛け算をしなければなりません。これと同様に、kothimaro始数(1/∞’)は正の数の足し算と1より大きな数の掛け算はしなければならず、kothimaro終数(∞’)も正の数の引き算と1より大きな数の割算はしなければなりません。

 この様に、数とは「計算が少しでも可能な値」です。従って、0もkothimaro始数(1/∞’)も、kothimaro終数(∞’)も数であり、可能な範囲内で計算をしなければなりません。
 これに対して無限大∞は、足し算も引き算も掛け算も割り算も出来ません。従って計算が一切出来ないので、無限大は数ではありません。

 以上の通り、「@全ての数にはそれより大きな数がある。」は成立しないので、一番大きい正の数∞’は存在します。証明終わり。