• CATBIRD日記 (物理・数学・歴史・哲学・宗教の未解決問題を扱ってます)
  • アポロ11号は月に行ったのか

    ケネディー大統領の公約

     1960年11月、ジョン・F・ケネディが、アメリカ合衆国第35代大統領に選出された。ケネディ大統領は、宇宙開発やミサイル防衛の分野で、ソヴィエト連邦より優位に立つことを公約としていた。

     1961年4月12日、ソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが、ボストーク1号で史上初の有人宇宙飛行を実現した。そこでケネディ大統領は、1969年の終わりまでに人間を月に着陸させると言うアポロ計画を表明した。その為、250億ドルの予算を支出し、2万以上の企業と大学とが協力し、アポロ計画はピーク時には40万人以上の従業員を雇傭していた。

     1966年2月26日のアポロ1Aに始まり、1969年5月18日のアポロ10号で月面まであと15.6qの所まで接近した。

     そして、公約期限ギリギリで、アポロ11号が月面着陸を成功させた。1969年7月16日13:32にサターンV型ロケットで、ニール・アームストロング船長、エドウィン・オルドリン月着陸船操縦士、マイケル・コリンズ指令船操縦士が、月に向かって地球を出発した。マイケル・コリンズは指令船に残り月を周回し、アームストロング船長とエドウィン・オルドリン操縦士2名が月着陸船に乗り込み、7月20日20:17に月面に着陸した。

    船外活動の映像

     そして、アームストロング船長がはしごを降りて月面に降り立つ映像や、月面での船外活動の様子をとらえた映像は世界中に配信され、6000万人以上の人がテレビでこの映像を見ていたと言われている。着陸船の足に取り付けられていたスロースキャンテレビの映像は、テレビ中継の規格に適合しないとして放映されなかった。本放送で流されたのは、従来のカメラで撮影された映像であった。その後、スロースキャンテレビの映像は行方不明となり、2009年にNASAは正式にこの映像が失われたことを認めた。

    おかしな映像

     従来のカメラで撮影された船外活動の様子には、不自然な点が多数ある。
     ものの影が様々な方向を向いているのである。これは、多数のライトを天井に設置した時に起る現象である。空気の無い月面に立てた星条旗が激しくはためいているのである。違う場所なのに、背景が全く同一である場面が多くある。着陸船の着陸時の噴射で、月面にはクレータが出来るのにそれがない。宇宙飛行士が月面でジャンプすると、重力が弱く飛ばされてしまうのに、楽しそうに普通にジャンプしている。宇宙飛行士の背中にワイヤーが見える。宇宙飛行士の動きを2倍にして見ると、地上での人間の動きとなる。月面と背景の山のとの間に、境目の線がある。月面の石に、小道具の置き場所を示す「C」の文字が書いてある。月面で撮影したのに、空に星が写っていない。分厚い手袋をはめ、ファインダーの無いカメラで撮影したのに、どの映像も露出及び構図が完璧である。

    技術面からの疑問

     また、技術面から次の様な疑問が起っている。
     バンアレン帯と呼ばれる高い放射能を帯びた部分では、飛行士は数分で死亡してしまう。それを、当時の技術では防ぐことが出来ない。月面は130度から−150度まで急激に変化する。カメラも人間もこの高温や低温には耐えられない。アポロ11号が持ち帰った石は、地球の石と変わるところがない。着陸船及び指令船に搭載されたコンピュータは、1980年の家庭用ゲーム機よりも性能が劣り月まで航行することは非常に困難である。

    結論

     この様に、数多くの疑問が沸き起こり、アポロ11号は月面には着陸していないのではないかとの疑問が起っている。大統領やNASA要人は、公約期限が迫りあせっていたことは事実である。巨額の税金を投入したのに、失敗でしたでは責任を問われることになる。
     また、人跡未踏の地に到達するのに、従来型の重いテレビカメラを持って行くことは考えにくい。出来る限り身軽にして挑戦する筈である。果たして、人類で最初にエベレスト登頂に挑戦する人が、重いカメラを持って行くだろうか。

     この様に、アポロ11号には多くの?が付く。実際に月面に着陸したか否かは別として、映像自体は地上で撮影されたものであることは確かである。NASA関係者はアポロ計画を全世界にアピールする為に、地上で撮影した映像を流したと思われる。しかし、実際に月面に降り立ったか否かは、私には分らない。